Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.12.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩中斎」
その2

磯村野風

『法華伝奇集』平楽寺書店 1931 所収

◇禁転載◇

大塩中斎(2)

管理人註
  

                とら     かたつばし  文政の十年に天主教徒を京阪地に捉へて、片端から所罰したので、メキ /\と名声を上げたが、感ずる所あつて早く隠居して洗心洞塾を開き、専 ら子弟を利導した。                               ひき  天保四年から七年まで打続いた不作は、遂に天保飢饉なるものを惹起し た。  其当時の米の相場を記すと、京都では米一升が二百二十文、大阪では二 百文、江戸では百文で二合八勺……と云ふ前代未聞の高値を示した。  『うき世の有様』の筆者は、    下賤のものは、小児は生乍ら悉く川へ流捨て、老人は捨置きて餓死    せしめ、其死のおそきを厭ふといふ浅ましき事なり、                            かくこ  と記してゐる。正に生きながら地獄の有様である。されば畏くも  仙洞法皇様は    わが為に何を祈らんあまつ神        民安かれと思ふばかりぞ  と御詠み遊ばされた。平八郎は日に/\憂鬱になつて行つたが、或日門 人に、  『河内屋吉兵衛を呼んで呉れ……同業者を二三名連れて参れと申してな  ……』  『は』  吉兵衛は時を移さずやつて来た。  『えゝ、殿様、何御用で……』  『一人か?』  『いえ、喜兵衛、源十郎、茂兵衛の三人を召連れました』  『それは大儀であつた。申兼ねた儀ぢやが、拙者の蔵書全部を、精々高  価に引取つて呉れ』  『あの、全部と申しますと……』  『中斎が生命の代りとまで思ひ込んでゐた、書籍全部ぢや』  『失礼ながら、いかほど位御入用で……』  『一文でも多く欲しいのぢや』   かしこま  『畏りました』  四人の書肆は、相談して四十貫に買取つた。大塩は直ぐにその金を一人     づゝ            わづ 当り一朱宛施したが、その数は極めて尠かなものであつた。     大塩が持つたる本を売り払ひ           ・・・        これぞむほんの始なりけり  とは其頃流行の落首であつた。



























山上智海
「主義の人、大塩
平八郎」
その4


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