Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.12.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩中斎」
その5

磯村野風

『法華伝奇集』平楽寺書店 1931 所収

◇禁転載◇

大塩中斎(5)

管理人註
  

       いでたち                    どんす  平八郎其日の扮装は、白小袖の上に黒羽二重の紋付を重ね、紺緞子の野 袴をはき、大刀造りの大小に黒羅紗の陣羽織、鍬形打つたる二十四間白星                       しづ の兜を頂き、養子格之助を引従へ、床几に懸つて徐かに同志の集まるのを 待つた。  殷々たる砲声が、大阪市街に鳴り響くと同時に、  『すはこそ、大塩先生が打つ立たれた』        こ こ かしこ  とあつて、此処彼処より現れ出でた同志の面々、八方より蟻の集まるや うに、大塩の邸へ集まつて来た。  中斎はにこやかに之れを迎へ、   おの/\  『各 よくぞお馳付けて下された。思はぬ裏切り者の為めに少しく、時  機を早めましたが、然しいつかは決行せねばならぬ大事、これから直ぐ  に打立ち申さう、此の度の事、予て各には御存知の如く、断じて謀反叛  逆ではござらぬ。食ふに米なく、求むるに金なき貧民を救ふ為めでござ  れば乱暴狼藉は慎まれよ、不肖なれど中斎総軍の指揮を致すでござらう、  拙者の采配には絶対御服従下さるやう』  『委細承知仕りました』                              いのち  『たとへ逆徒と思ひ誤り、手向ひ致す輩これある共、成るべく生命を奪  はぬやうに心せられい』  『その辺も心得居ります』  『目指すは貪欲飽くことを知らざる鴻池、住友、三井らの物持でござる、  快よく倉を開き、有金財宝を差出せばよし、万一拒み申するに於ては、  遠慮なく打殺されい』  『相分りました』  『然らば出発……』  大塩は手に持つてゐた采配をバラリと振つた。まづ真先に押立つたは天                         なが 照皇太神宮、湯武両聖主、八幡大菩薩と認めた大旗一旒れ、続いて南無妙 法蓮華経と大書した旗二旒れ、第三番目には赤地に墨で救民と認めた旗一 旒れを、暁風に翻させ、同勢凡そ百余名、粛々として四軒屋敷を出発して、 直に跡部の邸へ攻めかゝつたが、既に先方に手配がしてあつたので、寡勢 の大塩勢は残念ながら撃退された。大塩は隊をまとめ乍ら、途中豪家と見 れば立入つて、米銭を申受けて、貧民共に施しながら八軒屋へ出て、あれ から船に乗つて天満橋の下まで引返し、こゝで隊を解いて、格之助、渡辺                    さかひ 良左衛門、瀬田清之助の四人連れで、河内界まで落延びたが、渡辺は早く も諦めて途中で切腹した。  三人は折柄の雨に濡鼠の如くになつて高安郡見地村へ着いた。大塩親子 は此処で瀬田と別れて、大和路に向つたが、瀬田は途中で熱を患ひ、其上 百姓共に追かけられたので松の木で縊死を遂げた。  大塩親子は大和のある禅寺へ入つて、ごり/\と頭を剃つて了つた。  『フヽさつぱりしたな』  中斎は青々した頭を撫でゝ、格之助の方を向いてにつこり笑つた。けれ 共格之助は笑はなかつた。二人は引返して大阪へ向つた。  『大丈夫でせうか』  『うむ、受合ふ』  おやこ  父子は黙々として、元来た道へ引返した。それは二月二十三日の朝であ つた。

見地村
恩知村























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