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「大塩平八郎」の短篇的構成は、短篇的構成に於ける技巧の極地をつ
くした芥川龍之介の、いかなる歴史的寓意小説よりも完成されたもので
ある。しかもその完成は単なる形式上の彫琢に止まるものではない。一
字一句がその内部に生活の無限の陰翳と重量とによつて充填されてゐる
といふ。内容上の豊富さによつて為しとげられたものなのだ。「天保八
年丁酉の歳二月十九日の暁方七ツ時に、大阪西町奉行所の門を敲くもの
がある。……此頃はもう四年前から引続いての飢饉で、やれ盗人、やれ
行倒と、夜中も用事が断えない。それにきのふの御用日に、月番の東町
奉行所へ立会に往つて帰つてからは、奉行堀伊賀守利堅は何かひどく心
せはしい様子で……」といふ冒頭の一節から、読者は既にこの事件の中
心的な「嵐の眼」の中に投げこまれるのである。しかもその一点に於て
この事件の運命、殊に大塩平八郎が演じるこの事件の悲劇的な隠惨な終
滅の場面は惻々として股慄する如く予感せしめられずにはゐない。
西町奉行は、ある陰謀の密告を受けたが、かかる大事件に対する身構
へができてゐない。ただ狼狽をかくすのに懸命なだけである。「堀は不
安らしい目附をして、二つの文書をあちこち見競べた。陰謀に対してど
う云ふ手段を取らうと云ふ成案がないので、……安坐して考へても、思
案が纏まらない」のである。この一章で、読者は、ある陰謀の勃発が近
いといふこと、しかもそれが数多の密告者を出してゐることからしても、
決して成功しさうもないこと、それにもかかはらず、封建的官僚の間で
は、これに対処する態度が決定できず、無為無策のうちに逡巡してゐる
ことを見てとられるにちがひない。
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森 鴎外
「大塩平八郎」
その1
彫琢
(ちょうたく)
詩文などを練
り上げること
股慄
(こりつ)
恐ろしさに足
がふるえるこ
と
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