Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」について

その2

岩上順一

『歴史文学論』文化評論社 1947 所収

◇禁転載◇

五 歴史的運動の集約的表現
 「大塩平八郎」について(2)
管理人註
   

 凡そこれらの暗示的な場面は、第二章の東町奉行所の内部の情景では、 もつと緊迫した行動となつて展開せられる。即ち密告によつて東町奉行 所そのものの内部にも陰謀の荷担者がゐるといふことが判る。「意思の 確かでない奉行跡部は」それまで疑惧してゐたが、「突然決心して」当 番役人中の陰謀荷担者の瀬田と小泉に手を著けることにする。役所の近 習部屋で小泉が殺される。第一の血が流れた訳だ。瀬田は逃れる。「そ して天満橋を北へ渡つて陰謀の首領大塩平八郎の家へ奔つた」といふと ころで、はじめてこの陰謀の中心人物へと物語の視線が近づいて来る。  第三章から第四章にかけて、描写は、大塩平八郎の奇矯なる激烈なる 性格と、その周囲の陰謀団の内部に於ける意見の不統一、それによる同 志討、といふ風な、この運動自体の内的欠陥と、そこから醸し出される 陰惨な雰囲気の面に移る。いざ打ち立たうとする一瞬の間に、大塩平八 郎の「熱した心の内を、此の陰謀がいかに萌芽し、いかに成長し、いか なる曲折を経て今に至つたと言ふことが夢のやうに往来する」のである。 そして天保三年の天候不順から四年の東北洪水、五年の炎天、六年の虫 害海嘯、七年の大風大火に打ちいためられた民衆の飢饉の疾苦、それに 対する「町奉行や富豪の」無為放任を見かね「とうとう誅伐と脅迫とに よつて事を済さうと思ひたつた」平八郎の心事が説明されてゐる。  しかし、今日となつて、平八郎自身にも事の成算覚つかないことが予 感される。「けふまで事柄の捗つて来たのは、事柄其物が自然に捗つて 来たのだと言つても好い。己が陰謀がを推して進めたのではなくて、陰 謀が己を拉し走つたのだと言つても好い。一体この終局はどうなり行く だらう」と平八郎が沈思してゐる間にも「事柄は実際自然に捗つて行く」 のである。もはや動き出した力は大塩の手では制禦出来ないのだ。大岩 石は手から離れた。落下する運動はそのデモニッシュな暴力を発揮して 破壊と放火によつて鹿台の財を発散せしめたばかりでなく、それ自らの 必然的な力の法則によつて、その首領的指導者達自身の運命をも破壊せ ずには措かなかつた。岩塊は微塵に砕け散る。陰謀者達は夫々四散する が、殆ど残らず捕へられてしまふのである。



森 鴎外
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海嘯
(かいしょう・
つなみ)





(はかど)つて









デモニッシュ
悪魔的な


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