Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」について

その4

岩上順一

『歴史文学論』文化評論社 1947 所収

◇禁転載◇

五 歴史的運動の集約的表現
 「大塩平八郎」について(4)
管理人註
   

 この点に於て鴎外は、おどろくべき慧眼をもつて、当時の政治機構の 内部に於ける人間の性格の歴史的な位相をつかみとり、われわれの前に さし示してゐると言はねばならぬ。同じことは、また、陰謀の内部に於 ける、人間と人間との関係の仕方についても言はれるところである。大 塩の性格を中心に、一挙に参加した人間達の態度や位置は、可成り明確 に措定しようとつとめられてゐることは確かである。ただそれが、大塩 を中心として、大塩に対する関係に沿つてのみ把へられてゐることから、 彼等の性格や位置が、それぞれに独立した人格的な統一を持ち得てゐな いことは、後に、この作品の欠陥を分析する際に、もつと突込んで考へ てみることにしよう。ここにはただ、この小説に於て定着された世界 が、この歴史的事件を、歴史的過程に沿つてとらへたものではなくして、 この歴史的事件を対照に於て、即ち一時期に於ける関係者間の位相に於 てとらへたものであることだけを指摘して置きたいと思ふのだ。それは、 事件を、歴史そのものの運動の過程としてとらへたものでなくして、か かる過程を横断したところに現はれる、人間と人間との相関的な位置に 於て把握したものであるといふことである。  このことは、一方では、短篇形式のうちにかかる大事件を畳みこんで しまふことを得させ、その内容にあのやうな充実感を与へたものではあ る。しかし、同時にそのことが、この作品に一種の人為的構成感を与へ る原因ともなつてくるのである。いかにも精緻な構成感である。だが、 この構成は、運動と発展の描き出すものではなくして、奉行の陣営と大 塩の陣営との、相互の対立と照応と衝突のうちに彩られる構成である。 歴史の流れではなくして、歴史の固定的断面の構図なのだ。大塩の運動 が、歴史の流れそのもののいかなる表現であつたかは明白でない。大塩 の行動は、何故に招来されねばならなかつたか。そしてそれは、何故に 破れ去らねばならなかつたか。そのことが、歴史そのものの流れに於て とらへられてゐないのだ。



森 鴎外
「大塩平八郎


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