この点に於て鴎外は、おどろくべき慧眼をもつて、当時の政治機構の
内部に於ける人間の性格の歴史的な位相をつかみとり、われわれの前に
さし示してゐると言はねばならぬ。同じことは、また、陰謀の内部に於
ける、人間と人間との関係の仕方についても言はれるところである。大
塩の性格を中心に、一挙に参加した人間達の態度や位置は、可成り明確
に措定しようとつとめられてゐることは確かである。ただそれが、大塩
を中心として、大塩に対する関係に沿つてのみ把へられてゐることから、
彼等の性格や位置が、それぞれに独立した人格的な統一を持ち得てゐな
いことは、後に、この作品の欠陥を分析する際に、もつと突込んで考へ
てみることにしよう。ここにはただ、この小説に於て定着された世界
が、この歴史的事件を、歴史的過程に沿つてとらへたものではなくして、
この歴史的事件を対照に於て、即ち一時期に於ける関係者間の位相に於
てとらへたものであることだけを指摘して置きたいと思ふのだ。それは、
事件を、歴史そのものの運動の過程としてとらへたものでなくして、か
かる過程を横断したところに現はれる、人間と人間との相関的な位置に
於て把握したものであるといふことである。
このことは、一方では、短篇形式のうちにかかる大事件を畳みこんで
しまふことを得させ、その内容にあのやうな充実感を与へたものではあ
る。しかし、同時にそのことが、この作品に一種の人為的構成感を与へ
る原因ともなつてくるのである。いかにも精緻な構成感である。だが、
この構成は、運動と発展の描き出すものではなくして、奉行の陣営と大
塩の陣営との、相互の対立と照応と衝突のうちに彩られる構成である。
歴史の流れではなくして、歴史の固定的断面の構図なのだ。大塩の運動
が、歴史の流れそのもののいかなる表現であつたかは明白でない。大塩
の行動は、何故に招来されねばならなかつたか。そしてそれは、何故に
破れ去らねばならなかつたか。そのことが、歴史そのものの流れに於て
とらへられてゐないのだ。
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