たとへば、さきにちよつと触れたところであるが、大塩の行動は、た
だ奉行との対比に於てのみ追求されてゐるにすぎない。あれほどの衝動
的事件に対して、直接にもつと深くつながつてゐる筈の、大阪の一般住
民達の姿は、殆んど一人もこの小説のなかに登場して来ないのは奇怪な
ことではないのか。たとへ登場してきたとしても、それは恰も生きた人
間としてではないやうだ。たとへば「何物にか執着して、黒く焦げた柱、
地に委ねた瓦のかけらの側を離れかねてゐるやうな人、獣の屍の腐ると
ころに、鴉や野犬の寄るやうに、何物かを捜し顔にうろついてゐる人な
どが、互に顔を見合せぬやうにして行き違ふだけで」といふ風に、殆ん
ど人間として生きた姿ではとらへられてはゐないのだ。このことは、実
にこの小説を理解する上に、見逃すことのできない事柄である。しかも
おどろくべき事柄ではないだらうか。
なぜならば、当時の大阪やその附近の住民達は、大塩の事件に対して
は決して無関係ではなかつたからである。すくなくとも決して無関心で
はなかつたし、またそんなことはあり得なかつたからである。それどこ
ろか、当時の大阪やその附近の住民のみならず、全日本の農民や商人達
は、大塩の事件と、もつとも密接な心理的関係に立つてゐたにちがひな
いのだ。それは行動そのものに於て、それを目撃し、それの被害をうけ、
あるひはそれの兵火をうけるといふ風な直接の衝動と昂奮と激動とをも
つてゐたばかりではない。彼等は事件のそのやうな直接的影響関係に対
して、単なる関心をもつてゐたばかりでなく、むしろ、彼等の生活自体
がかかる事件を惹起した主要な歴史的原因であつたとさへ言へるのであ
る。その意味で、かかる住民達の生活は、大塩の事件の本質的な動因、
その真のモチーフでさへあつたのである。このことを鴎外は、何故に芸
術的な形象に於て描かなかつたのか。鴎外は、事件とその社会的背景と
の関係を、いつたい理解してゐなかつたのだらうか。
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