Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」について

その3

岩上順一

『歴史文学論』文化評論社 1947 所収

◇禁転載◇

五 歴史的運動の集約的表現
 「大塩平八郎」について(3)
管理人註
   

 最も凄惨なる場面は、大塩父子が隠れ家に火を放ち自殺する件りであ らう。その火事を出来得る限り消しとめて、半焼けの死骸を引き出させ る描写などは、鴎外のごとき医学者ならでは、たうてい描ききれぬ、冷 酷なまでの真実が追求されてゐるのに、見を竦ませないではゐられぬほ どである。  確かに「大塩平八郎」の小説的構成は、おそるべき歴史的内容の充実 によつて、一分の隙間もなく緊張せしめられてゐる。読者は、短いがし かし極度に圧縮せられた短篇形式のなかで、大塩平八郎の一挙をめぐる、 外的情勢と内的情勢との、するどく精緻な追求と描写に於て、この運動 の必然的な破滅への運命を、実に明確に会得することができるであらう。 すくなくとも大塩の行為の破綻は、いかにしてもそれが必至であらるば ならぬことが、その行為の内部から見ただけでも、明らかに推察し得る やうに描き上げられてゐる。しかもそれが、日時にすれば僅かに二月十 九日の一日間の出来事に依つて描きつくされてゐるのである。二月二十 七日の大塩最後の情景や、この陰謀事件の評定の模様は、エピローグに すぎない。もつとも、このエピローグそのものだけでも、優に一篇の物 語を構成させ、それによつて当時の制度や思考の形態を表現し得るだけ の歴史的内容に満たされたものではあるが。  かやうにして、鴎外は、天保八年二月十九日の一日中の出来事を、積 極的に把握することによつて、大塩の一挙と、その前後につながる歴史 的情勢を、もつとも圧縮された形式のうちに物語ることができた。この ことは、この小説に、さまざまな特徴を与へずにはゐなかつた。その第 一のものは、この事件を通じて露呈された、封建的生活機構の相互的な 関係と位相のことである。当時の支配者内部の機構の腐敗化と、その機 構の内部に置かれた人間の精神力や意思の麻痺状態である。たとへば、 西町奉行の堀は、かかる事件の発展に対して、何等の対策も樹立できな い。そればかりか、いざ大塩の手勢と衝突した段となつても、全くなつ てゐないのである。鉄砲をうつた音に堀の乗馬が驚いて跳ねると「堀は ころりと馬から墜ちた。それを見て同心等は『それ、お頭が打たれた』 と言つて、ぱつと散つた。堀は馬丁に馬を索かせて、御祓筋の会所に入 つて休息した」りする有様である。東町奉行の跡部も「混乱の渦中に巻 きこまれてとうとう落馬し」てしまふ。しかし、彼等の手下のうちで、 微禄な坂本鉉之助だけは、この混乱のなかでびくともせず、見を挺して 銃隊を指揮し、大塩の行動を追跡し、圧迫し、終滅させるのである。―― これらの人間関係は、実にするどく、当時の治政者の、上層地位にある ものの能力の低下と、下位にあるもののの能力の保有とを指摘してゐる と言はねばならぬ。



森 鴎外
「大塩平八郎」
その12


























二月二十七日
は
月二十七日
が正しい

































「索」は
鴎外の文では
「牽」


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