Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」について

その8

岩上順一

『歴史文学論』文化評論社 1947 所収

◇禁転載◇

五 歴史的運動の集約的表現
 「大塩平八郎」について(8)
管理人註
   

 あのやうな歴史的事件に於て、その事件の客観的基礎条件としての国 民生活の状態と、その生活に於ける人間の意識ある行動が惹起するのに 到つた歴史的事件の昂揚との間には、いはば一般国民とその歴史的英雄、 あるひは国民とその指導者との関係が存在してゐると言はねばならぬ。 国民がその生活にうながされて動きださない間は、その中にはまだ指導 的な英雄は立ち現はれることができない。しかし、その時にも国民のな かのもつとも深く考へ憂へるものは、まづ耳を澄して草奔の呟きをきき とるものである。  やがて、彼大塩平八郎は、一般庶民の内にも、また自分自身の内にも、 ぢつとしてゐられぬ切迫感をいだかされたにちがひない。彼は庶民を導 かうと決意する。やがて、いつしか彼は、一定の運動の中心に立たされ てしまふ。徒党を組むや否や、彼の意志は、徒党の意志となる。それば かりか、そのやうな意志そのものも支配する運動そのものの発展法則に 束縛されてしまふのだ。指導者としての大塩は、これを自覚せざるを得 なかつた。  鴎外はそれを指摘してゐる。即ち大塩は感じるのであつた。「己が陰 謀を推してすゝめたのではなく、陰謀が己を推してすすめて来た」ので ある。もはや落下しばじめた巨石を、彼一個の意思で喰ひとめることは できない。彼は、この転落する巨石に引きづられ、破滅の焦熱地獄のな かに見を投じる外はなかつたのだ。  鴎外は、かかる歴史的事件に於ける指導者の内的生活に視野と描写を 限定した。そのことによつて、指導者を指導者として押出した生活の構 造と、一般的な庶民との関係は、具体的歴史的にはその芸術的形象のな かに定着することができなかつた。ここに彼の歴史小説の成功と欠陥と がひそんでゐる。「大塩平八郎附録」は、この成功と欠陥とがどこから くるかをもっとも明瞭にわれわれに理解させてくれる。

森 鴎外
「大塩平八郎」
その5




















 


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