Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.2

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大塩の乱関係史料集目次


『事 々 録』 (抄)

その5

三田村鳶魚校訂

 『未刊随筆百種 第6』米山堂 1927 収録

◇禁転載◇


天保五甲午年

昨年の米価

○天保四巳年四月京師に至るへき旅中、勢州四日市駅を立出んと調度取かたつくる頃、旅舎の僕等あはたゝしく言のヽしるは、今朝の日の出のさまわけて赤く、紅色、天に満たり、たれも見よ、彼も見よとて、我が僕等迄も立さわぐ、大地震のきざしか洪水の証かと評しけるが、つら\/つヽ思ふに、此の秋米又みのらず、奥羽不毛の風評、巳の冬より午の今年の夏はます\/価のぼりて、市中にひさぐは鳥目一百泉白米五合ときこへし頃、皐月の御張紙は百俵にて四拾参円なるも、民の憂ひをおぼしてなるべし、

御蔵わたりも米金を等分時に下しおかる、其米のあたひ至極に貴き時は百弐拾円に至る、余は其半ばにして九十三円に売たり、されば町家貧民と憐給ひ、白米を町司より再度迄めくませらるヽも、厚き御仁政ならずや、

夫か中に愚民の私欲より、千住なる米うる市店しいたげれるの恨より家をこぼたれしとぞ、是や天明六午年の鄙言にいへる打こはしの類いなるべし、すべて琉球芋大根なんどと米へくわへて朝暮を養ふの賤民多きよし、白米を食しても世渡り安き商人も町老是をいましめける、

巳の四月より午の四月迄は、京師の御館にありて風評をきくに、乞食道路に餓死もありけるならんに、御仁政の行とゞき賤民も一飯を滅じてあたへやしけん、いやしきうら家住の食にとぼしきにくらふれば、ちまたにかばねさらす事もなきはありがたき事ならずや、只欲にふける商人の仕出して餅の大きさをげんじ、茶飯そばの類ひのあたひをのほせるはさらなり、調度布帛もおのづからたつとく、是が利を得て食にかゆる物から何事もあたひをのぼせけるが故に、ます\/世渡りにくゝなり行にも、江府は諸国より入込み人多く、厚く御救いも届かね、日に\/袖乞ひ乞食の数まさるべきに、天災は天災の助けありて二月の焼亡は救ひ小屋に入て公米に養はれ、焼跡雇人なんどの利を得て餓民の助と成るは御仁政の余光ならんか、


『事々録』目次/その4/その6

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