Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その10

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二席 (4)

管理人註
   

 扨其後暫らくは別段にお話しもなく、平八郎も公務の余暇には、専ら 学問に余念なく、別に私塾を設けて居るのではないが、有志の者には夜 分だけ学術を授け、また時としては講義などをいたし、相変らず同僚間 にも信用をされて居りました、処が其年の冬の事でございます、大塩後                                いつも 素の門人でございまして、玉造の医者元田哲斎の哲次郎と云ふ者が、例         やしき の通り夜分大塩の邸宅へ稽古に参りました処が、生憎後素先生は来客の       はなし                       ひとま 為め、別席で談話中でございますから、哲次郎は他の学生等と共に一室         いろ/\ に集まりまして、種々世間話をして居りました。  『貴公達はアノ竹上を知つて居るかい、万太郎を、矢張先生の門人 のアノ竹上を』       だしぬけ  『何だ、突然にそんな事を云つて、竹上万太郎と云ふのは、御弓奉   かしら 行の組同心で、其お頭は上田五兵衛といふ人であらう』  『夫れは分つて居るが、其竹上が近頃顔を見せぬであらう』  『成程、近頃は大きに怠け居つて、稽古にも来ないが、如何したの であらう』  『下拙の宅は玉造で、アノ竹上も玉造の組屋敷だから、能く知つて 居るが、成程今日アノ有様で来られなからう』  『ホゝウどういふもので学問の稽古に来られないのかな』  『貧の為めだよ』  『貧の為めとは何だ、貧困だからと云ふのか』                         ・・  『然り其通り、貧乏も尋常の貧乏でない、貧乏のほうを折つて了つ たのだ』  『フーンそんなに苦しいのか、お役を勤めて居るではないか』  『お役を勤めて居るが、同じ同心と云つても町奉行の同心とは訳が 違つて居る、今斯うして此席に居る者は、同じ先生の門生ではあるが、 与力も同心も居らぬから云ふが、全体この町奉行附の与力同心は、御扶         あ て 持などは少しも目的にしては居るまい、当家の先生は夫れがお嫌ひであ                      はま るが、ソリヤ喧嘩があった、火事があつた、川陥りがあつたと云へば、              いくら             ほんとう それが残らず役人の附目で、幾許か金になる、所謂賄賂だね、イヤ真正     みいり  なか/\ だよ、其収入は却々大したものだが、御城附の方の与力や同心は夫れが                    ほか ない、何石何人扶持と云へば夫れだけで、他からと云つては少しも余禄 もないから、大抵の者は内職をして居るのだ、だから家内が多いとか、           とても               あたりまへ 病人でもあつて見ると到底貰ふだけのものでは足りないのは当然だから、 竹上の処などは実に清貧洗ふが如しで、此七月とかに重代の刀剣を質に 入れたとか、或人に預けたとか云ふ事だ、処が三ケ月の約束で金を借つ たのだが、今日に至るも返す事が出来ないので、万太 せんせい 郎生、大弱りに弱つて居るとの事だ』  と噂をして居りますと、大塩平八郎は、今客人の帰るのを玄関まで送                        ひとま り出し、自分の居間へ戻らうとして、通りかゝつた一室の中に哲次郎が しやべ 饒舌つて居るのを聞き、其襖をガラリと明けましたので、元田哲次郎は びつく    つぐ 恟りして口を噤みました。

   
 


『大塩平八郎』目次/その9/その11

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