常『大塩の旦那、是れを御覧なすつて、何事も御了簡をなすつて下さ
いまし』
ふくさ
と跡は涙に掻き暮て居りますから、平八郎も変に思ひまして、其帛紗
包を取上げて解いて見ると、何やら白紙に包んである、何であるのかと
紙を取除けて見ると、女の切髪でございます、流石の大塩平八郎もギヨ
ツトした、此髪の毛と云ふものは、髷でも結ふた処を見ると何とも思は
ないが、扨切髪にした処を見ると、余り気持の宜いものではありません、
平八郎は其切髪と、忠兵衛、お常両人の顔を見て居りました、お常は涙
を拭ひながら。
あなた あたら
常『旦那様、妹のお勇は貴郎へ申訳の為めに、可惜黒髪を其通り切り
か み よく/\
ましてございます、女の身として頭毛を切ると云ふのは、モウ能々の事
と思召して、何卒何事も御勘弁をなすつて下さいまし』
傍から忠兵衛も口を添へまして。
忠『段々と容子を聞いて見ると、小間久とやらが最初に何かしらない
が持つて来たのを、手にも触れずに返したのには違ひないさうで、夫れ
から其男の帰つた跡で、紙に包んだものが座布団の下から出て来たので、
あらた
何であらうと検めて見た処が、鼈甲の櫛であつたから、小間久が来るの
を待つて戻さうと思つて居る中に、ツイ失念をして了つたのを、一昨日
る す
不在中に貴郎の目に止まつて、夫れからの騒動、調べられた時に斯様/\
だと、明瞭と云へば宜かつたのに、ハツと思つたので其答へに行詰つた
のを、却つて妙に疑はれ、何方からか鼻薬に貰つたのを、お勇が猫糞に
○ ○ ○ ○ いひわけ し
でもして居ると思はれたので、いよ/\ドギマギとして、弁解も為そゝ
くれたのだと云つて居ますのぢや、全く夫れに違ひなからうと私も思ひ
ますし、また此お常さんも、日頃からお勇の気心を能く知つて居なさる
おわび
から、今日は兎も角も天満のお屋敷へ往つて、一ツ謝罪をして来やうが、
旦那の御気質も知つて居るから、何か一ツ規模が立たないと、ウムそん
なら宜いとも仰しやるまいと、お常さんが云はれたのです、然うすると、
お勇は、其座を立つて往つたかと思ふと、惜気もなく黒髪を髷の根元か
らソレ其通りプツゝリと切つて、持つて来た時には先生、私もこのお常
あ
さんも、彼れが心根を察し、アゝ可哀さうに、今日は斯うして参つたの
たとへ
ですから、仮令貴郎が何と仰しやらうとも、其切髪と、また私やこのお
もと/\
常さんに免じて、一番勘弁をしてお勇を復旧にして下さいまし』
忠兵衛とお常の両人が熱心に頼み込みました、平八郎も其実は、自分
の短慮を顧みて、後悔して居る処でございましたから、暫らく無言で考
へて居りました。
わ び いひわけ
女が黒髪を切つて謝罪をすると云ふのは、男子が坊主になつて弁解を
てう
するのと、恰ど同じやうなものでございます、併し当今は男が坊主にな
るのは、伸びた爪を切るやうなもので何でもありませんが、昔は決して
然うではない。
あに あひて
△『オイ哥い、寅の野郎、喧嘩をしやアがつて、敵手の頭を叩き割や
アがつたさうだが、向ふにも荒神様が附いて居らア、まさか其儘ぢや済
しけへし
むめへと思つて居たが、ねつから復讐の喧嘩もおツ始まらねへぢやねへ
か』
めへ うめがしら
○『知れた事よ、寅はお前、頭を剃りやアがつたから梅頭だつて勘弁
し
を為やうぢやねへか』
△『フーン、野郎坊主になりやアがつた』
いひわけ わ び
なんて少々むづかしい事の弁解でも、坊主になつて謝罪をすれば納ま
つたものでございます、女だつて此黒髪を切つて謝罪をすると云ふのは
容易の事では無い、其髪を切つて謝罪をしましたのだに依つて、平八郎
かつ もと/\ せう
も其心根をを察し、且は忠兵衛なりお常の顔を立てゝ、以前の通り妾と
る
して、屋敷内の離れ座敷に住まはせる事にいたしました、尤もこれは不
す
在中へ小間物屋久兵衛が出て参り、下婢のお竹に委細の話しをして帰り
ましたので、平八郎も自分の短慮を後悔して居た処でございますから、
たやす
一ツは容易く事が納つたのでございます、お勇は大塩の屋敷へ立帰りま
したが、何分にも毛を切つたので、当分は髪を結ふ事が出来ない、そこ
で始終離屋敷にのみ居りまして、母屋に用のある時には、頭へ手拭ひを
冠つて出て来る事にして居りました……。
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