Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その124

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十五席 (5)

管理人註
   

    大阪町奉行跡部山城守与力 大塩格之助養父                     大塩平八郎                     大塩格之助                    かざ  右の者共儀、平八郎は表に謹厳の行状を錺り、文武忠孝の道を講じなが             めあ  ら、内実養子格之助へ、娶はすべき約束にて養ひ置候ふ、摂州般若寺村  忠兵衛娘みねと密通に及び、殊に諸人の信用に随ひ、慢心を生じ、軽き  身分を顧みず、御政道を批判致し、其上浅はかなる儀なれども、容易な                                こうじき  らざる謀計を企て、師命と称し、愚昧の門弟を威伏いたさせ、米価高直、  諸民難渋を窺ひ、仁慈を行ひ候存じ立ちに託し、又は同組与力同心等の  気合を量り、品々奸舌を以て不平の志を募らしめ、夫々一味連判に引入       なびかせ  れ、猶人気為靡候ため、所持の書籍、其余、摂州兵庫西出町長太夫等申   かす  し掠め、出金為致買調へ候書類をも売払ひ、一己の慈善に申し成し、右                     いと  代金難渋人へ施し遣り、或は叛賊の名聞を厭い、諸民を惑乱致させべき  為め、思慮なき大言を綴り、軽からざる文意をも認め載せ候檄文を村々       あまつさ  へ捨置せ、剰へ名家の末孫などと申し触し、救民の計議と偽り唱へ、計  策を以て奉行を討取り、大阪の御城を始め、諸役所並に市中を焼払ひ、  豪家の金銀を窮民へ分与へ、一旦同国甲山へ楯籠るべき旨申し合せ、右  企て露顕の期に至り、逆意に随はざる門弟宇都木矩之允を殺害に及び、                               かきしるし  一味加担の者共一同兵具を帯び、鎗長刀等を携へ、恐れ多き文字書記候             おど  旗押立て、百姓共を申し威し、多人数徒党を結び、大筒火矢等打払ひ、  所々放火乱暴に及び、捕方役人に敵対致し、格之助儀も右体の企て申し        けうわく  合せ、愚民を誑惑いたし、平八郎供に叛賊の所業に及び、捕方人数に打  立られ、銘々逃去り候後、大坂油掛町五郎兵衛を申し威し、同人方に忍  び罷在候始末、公儀を恐れざる仕方、重々不届き至極に付き、両人共塩            はりつけ  詰の死骸、引廻しの上磔刑に行ふものなり  と斯ういふ判決書でございました、大塩平八郎の末路は実に惨めなもの で、其他総て落着いたしましたのは、翌天保九年戌の年八月の事で、大塩 騒動鎮撫に付き尽力したる処の、御城代土井大炊頭を始め、其他の人々へ 対し、夫々賞品、また賞金を下附されました事などは大略いたしますが、           かど 彼の平山助次郎は密訴の廉に依つて、刑罰を宥免されましたが、自殺をし て相果ました、大塩後素も学余つて其終りを善くせず、其才智に誇つて義 を誤まりしは、返す/゛\も惜むべき事でございます、本講談も、是れに 大団円と仕ります。 大塩平八郎(完)


幸田成友
『大塩平八郎』

その195

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その122

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その7

































誑惑
人をだまし
まどわすこと
 


『大塩平八郎』目次/その123

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