Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その123

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第二十五席 (4)

管理人註
   

                          あなた  『此死骸は火消の者に申し附け、取出させますから、貴下方には会所 へ御引取の上後休息下さいまするやうに』  岡野小右衛門等は、生捕りにするつもりで居りました処が、二人とも自 殺をした上に黒焦げになつて了つたので、張合ひがなく、彦次郎が云ふが まゝに、信濃町の会所へ引上げました、併し幸ひにして一人の負傷者もな                             すくな く、火事も早く消えましたので、附近の家々でも割合に騒ぎも尠うござい               あらた した、跡で平八郎父子の死体を検めますと、平八郎は自ら咽喉を突き、格 之助の方は自殺したとは思はれず、是れは平八郎に殺されたやうでござい ました。        たゞ     したい      あらた  扨両人の焼け爛られた死骸を尚ほ能くめますと、焼け残つた帯の中か ら日本国中の通用切手が現れ出ました、是れを検めて見ると、京都嵯峨の 天龍寺から出た往来手形で、雷山と云ふ名が記してある、そこで格之助の 方も捜して見ると、是れも同じく手形が焼け残つてございまして、観水と 名が記してありました、夫れに二人は美吉屋へ来た時に、既に髪を剃り、 ぼうず 僧侶の姿であつた処から見ると、此手形は予て用意がしてあつたもので、 髪を剃つたのは、河内から大阪へ来るまでの間と思はれます、そこで此死           そ と 体を駕籠に乗せ、其外部へは『大塩平八郎死骸』また『大塩格之助死骸』 と一々木札を附け、美吉屋五郎兵衛の妻は縄附きにして、是れも駕籠に乗 せ、年寄与一郎、五人組の者等が附添ひまして、町奉行所に送られました。  斯うなりますと、予て国々へ人相書が廻してありましたから、平八郎父 子は落命に及んだ事を、更に夫々へ通知に及び、其他の一味の者も前後し て召捕に相成ましたが、其中には随分まだ面白いお話しもございますが、 余り長講と相成りますので、大略に致します、美吉屋五郎兵衛は取調べ中 牢死をいたし、女房つねは遠島の刑に処せられ、其他の者も夫れ夫れ相当 の刑罰を受けましたが、四月三日に一件書類を江戸表へ送りましたる処、 大公儀に於て御取調べの上、今日で申す判決書が江戸表より到着いたしま したに依つて、同年九月十八日、東町奉行所白洲に於て、東西の町奉行、 また、江戸表より出張の役人等立会の上、塩詰にして保存してあつた、平 八郎父子の死骸へ対し、申渡しがありました、其文面は。


幸田成友
『大塩平八郎』
その162
その195

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その122

中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その7

















































実際の判決は
翌年の
天保9年


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