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あなた
彦『此死骸は火消の者に申し附け、取出させますから、貴下方には会所
へ御引取の上後休息下さいまするやうに』
岡野小右衛門等は、生捕りにするつもりで居りました処が、二人とも自
殺をした上に黒焦げになつて了つたので、張合ひがなく、彦次郎が云ふが
まゝに、信濃町の会所へ引上げました、併し幸ひにして一人の負傷者もな
すくな
く、火事も早く消えましたので、附近の家々でも割合に騒ぎも尠うござい
あらた
した、跡で平八郎父子の死体を検めますと、平八郎は自ら咽喉を突き、格
之助の方は自殺したとは思はれず、是れは平八郎に殺されたやうでござい
ました。
たゞ したい あらた
扨両人の焼け爛られた死骸を尚ほ能くめますと、焼け残つた帯の中か
ら日本国中の通用切手が現れ出ました、是れを検めて見ると、京都嵯峨の
天龍寺から出た往来手形で、雷山と云ふ名が記してある、そこで格之助の
方も捜して見ると、是れも同じく手形が焼け残つてございまして、観水と
名が記してありました、夫れに二人は美吉屋へ来た時に、既に髪を剃り、
ぼうず
僧侶の姿であつた処から見ると、此手形は予て用意がしてあつたもので、
髪を剃つたのは、河内から大阪へ来るまでの間と思はれます、そこで此死
そ と
体を駕籠に乗せ、其外部へは『大塩平八郎死骸』また『大塩格之助死骸』
と一々木札を附け、美吉屋五郎兵衛の妻は縄附きにして、是れも駕籠に乗
せ、年寄与一郎、五人組の者等が附添ひまして、町奉行所に送られました。
斯うなりますと、予て国々へ人相書が廻してありましたから、平八郎父
子は落命に及んだ事を、更に夫々へ通知に及び、其他の一味の者も前後し
て召捕に相成ましたが、其中には随分まだ面白いお話しもございますが、
余り長講と相成りますので、大略に致します、美吉屋五郎兵衛は取調べ中
牢死をいたし、女房つねは遠島の刑に処せられ、其他の者も夫れ夫れ相当
の刑罰を受けましたが、四月三日に一件書類を江戸表へ送りましたる処、
大公儀に於て御取調べの上、今日で申す判決書が江戸表より到着いたしま
したに依つて、同年九月十八日、東町奉行所白洲に於て、東西の町奉行、
また、江戸表より出張の役人等立会の上、塩詰にして保存してあつた、平
八郎父子の死骸へ対し、申渡しがありました、其文面は。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その162
その195
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その122
中瀬寿一他
「『鷹見泉石日記』
にみる大塩事件像」
その7
実際の判決は
翌年の
天保9年
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