此万太郎の母親お倉と云ふのは、モウ六十二三歳でございます、親類
いろ/\
の間ネでございますから、今日守口の白井孝右衛門方へ参り、種々家計
困難の話しをいたしましたので、孝右衛門も気の毒に思ひ、老母と同道
をして、竹上の屋敷へ来て見ると、万太郎夫婦は火鉢の傍に、悄然とし
て居りましたが。
かん
万『オゝ孝右衛門さん、今日は大層寒じまする、母がまた参りまして』
孝『イヤ、お袋さんも追々御快方で是れなればモウ大丈夫』
つき
と云ひながら座に就ますと、母親が。
倉『万太郎、今日私は孝右衛門さんの処へ往つて種々と御相談をした
をした処が、夫れでは兎も角も一緒に往つて、万太郎の了簡も聞かうと
わざ
斯う仰しやつて、此寒空に守口から態々来て下すつたのだ』
万『どうも夫れは御親切に有難う存じまする』
孝『万太郎さん、実はね、今日このお袋が斯ういふ事を話されました
のだ、お前さん方には今日までに、度々御無心を申して御恩借もあるが、
私の長の病気に就て、薬礼だの何だ彼だと云つて、思はぬ金を使つたの
で、諸方に借財が出来、此年の関が越されぬとのお話しであつたが、実
際そんなに手許が苦しいのですか』
万『誠に汗顔の至りで……』
び はやまく
孝『そこで私もけう日の事だから、早幕に話しをしませう親類の間ネ
で斯ういふ事を云ふのは甚だ因業なやうだが、物事には極りとを云ふ事
なんぼ
がなければ、何程親類でも後日に不和を生じては、面白くないと思ひま
すから、今日まで立替へになつて居る金の事はマア其儘にして置いて、
更に五十両の金をお金も貸し申さうが……併し、私の処も質屋渡世をし
て居るから、明日の節季には金が要る其金の中をお貸し申すのだから、
何か抵当を……抵当と云つたつても、失礼ながら、五十両に対する品の
あるべき筈のない事を知つて居ます、そこでお袋と相談をした処が、此
お倉さんの云はつしやるには、御承知の通り私の家には宝物がある、夫
かたな
れは外でもない貞宗の名刀、其刀剣を預けるから、金を貸して呉れろと
の事でした、実は夫れで私も考へた、お袋の口から貞宗を預けてゞも、
たい こゝ ことわ
金を借り度と云はるゝ位だから、茲で私が夫れを謝絶ると、背に腹は替
られぬと云ふ事もあるから、或ひは他人の手に預けて、ひよつと金でも
むかう
借りるやうな事があつた日には、返金が万一にも間違へば、刀剣は先方
いつ
へ取られて了ふのは知れた事だ、コリヤ寧そ私の方へ預かつて置いた方
か た
が大丈夫だと思つたから、貞宗を抵当に取つて、五十両は貸すつもりで
斯うして出て来ました』
と云はれた時には万太郎も返事に困つて居ります、母親のお倉も傍か
ら。
もつとも あんばい
倉『万太郎や、孝右衛門さんの仰しやる処は至極御正理で、此塩梅ぢ
や、遠からず、アノ宝を人手に渡すやうにならうも知れないから、他人
に預けて金を借りるよりは孝右衛門さんへお預けをした方が、第一に此
竹上家の為めだから、早く然ういふ事にお願ひ申しなさい』
万『ハイ、至極御正理でございますが、万太郎、如何に窮するとは云
へ、先祖伝来の刀剣を抵当として、金を借りるやうな事は致しません』
倉『サゝ其お前の心掛けは此母も誠に嬉しいが、何も是れが他人に預
けて金を借りるのでなし、一家親類の孝右衛門さんにお預け申して』
おつか
万『イゝエ阿母様、親類でも他人でも、貞宗を預けて金を借りる事は
出来ません』
孝右衛門は是れを聞いて万太郎の顔を見て居りましたが、何やら独り
うなづき
黙首まして。
孝『其精神、孝右衛門感服いたした、殊に親類でありながら、抵当を
取つて金を貸さうと云つたのは、重重悪かつた、無抵当で五十両お貸申
さう』
万『エイツ、お貸し下さいまするか』
孝『如何にも貸さうが、其代りに一ツお願ひがある、唯一目だけでよ
いから、其貞宗の名刀を此処へ持つて来て見せて貰ひたい』
万『エツ』
と
孝『見せられない、重代の宝と云ふ貞宗は疾うから手許にはござるま
い……イヤ知らぬと思はつしやるか、常盤町の三木屋半兵衛の手に渡つ
てござらう』
そゝ
と云はれて、流石の竹上万太郎、満面に朱を灌ぎたるが如く真赤にな
かたは かたなかけ
り、物をも云はず立上つたかと思ふと、傍らの刀架にあつたる処の小刀
もろはだ
を手に取るや、忽ち諸肌脱ぎまして、小刀の鞘を払ひ。
万『母上、女房、孝右衛門殿、申訳は此通り』
と既に腹を切らうといたしました、此納まりは如何なりませうか。
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