Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その26

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第六席 (1)

管理人註
   

                              かたな  竹上万太郎は、如何に困窮に迫つたとは云へ、家に伝はる貞宗の刀剣 を抵当にして三木屋半兵衛から五十両の金を借り、其金が返されない為 めに家の宝を手放したのだから、母のお倉へも言訳がない、第一に先祖                   きは へ対して済まないと思つた処から覚悟を極め、既に切腹いたさうとする             とゞ と、白井孝右衛門は其手を止め。                       こなた  『コレ万太郎殿、早まつて何をするのだ、今此方が腹を切つて刀剣 が戻るか』  『サア、其刀剣を無くした言訳に此腹を』  『イゝヤ、モウ腹を切る事はない、貞宗は此孝右衛門が今持つて来 た』           あなた  『エツ、どうして貴下が』  と尋ねる中に孝右衛門は次の間へ立つて行きましたが、風呂敷に包ん            も と だ刀箱を持つて、再び以前の座に就き、風呂敷を解いて箱の葢を開け、 中から取出したのが覚えのある、貞宗の名刀だから万太郎は驚いた、孝 右衛門は万太郎に向ひまして。  『此刀剣を斯うして、私が持つて来たのを見て、嘸不思議に思はつ しやらうが、是れは斯ういふ訳だ、今朝早く天満の後素先生の処からお 使ひを下され、直ぐに来るやうにとの事であつたから、早速に往つて見                しか/゛\かう/\ ると、先生の仰しやるには、今度云々斯々した訳で、三木屋半兵衛から 貞宗の刀剣を買取つたが、此品は竹上万太郎の家の宝だから、万太郎の 手に戻して遣りたく思ふ、併し私から戻しては万太郎も面目なく思ふで あらうから、孝右衛門、お前は竹上とは親類なり、殊に万太郎はお前の せ わ 周旋で我門に入れた事だから、お前から一刻も早く戻して遣つて呉れい と仰しやつた、其時には此孝右衛門も先生の思召し、斯くまでに門人の 事を、お心に掛け下さるかと、余りの嬉しさに落涙をした位、委細承知                   やしき 仕りましたと、刀剣を預かつて先生のお邸宅を出たが、考へて見ると貴 公が今日の手許、此節季には金の要る事は知れてある、刀剣は戻つたが お金が無いと、またもや不都合な事でもあつてはならぬと思つたから、               しか             うち コリヤ金を持つて往つて救ふに如ずと、一旦守口の家へ帰つた処へ、老 母のお倉どのが見えられて家政に就いての相談、そこで後素先生のお話 しをして、此お倉どのと言ひ合せ、同道して参つて、今の如く云つて見 た処が、切腹をして言ひ訳をしやうとは、まだしも武士の本分を忘れざ る貴公の心底、私も大きに感心しました、此刀剣が戻つたからは死ぬる                      すま にも及ばぬ、また持つて来た此五十両で借財を済し、目出度く春を迎へ るが宜からう』   まる                   よみがへつ  と宛で夢を見たやうな此場の有様に、万太郎は蘇生た心地、大塩先生    なさけ の厚き情は申すまでもなく、白井孝右衛門が親切をも深く謝しました早 速貞宗を床の間に飾つて灯明を供へ、家内一同が大喜び、白井孝右衛門 いとま も暇を告げて立帰りました、サア俄に五十両の金が手に入りましたので、 義理の借金を返し、買掛りの諸払をしても、まだ金が残ります位、今日 の五十円と違つて、其頃の五十両は大金でございます、竹上万太郎は斯 ういふ事から、一層恩人として、また師として大塩平八郎を尊敬して居 りました。

   


『大塩平八郎』目次/その25/その27

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