扨案じて居た年の関も安らかに越しましたので、文政十三年の正月元
日には、万太郎も早々大塩の家へ年首の礼を兼ね、今度の一條に就ての
やしき
礼に参りました処が、早大塩の邸宅には大勢の門人、また同僚の人々な
どが座敷に列して年酒が始まつて居りましたから、万太郎は年賀の祝詞
かたな
を述べましたが、流石に満座の中だから、刀剣に就ての厚意を謝する事
け・・・
を憚つて居りました、平八郎もまた少しもそんな気ぶらひをして居りま
せん、併し万太郎にして見ると、早く其礼を云はなければ気が済まない
をり つ
から、何か機があつたら云はう、先生が座をお立ちになつたら、従いて
うち
往つて云はうと思つて居ります中に、平八郎は座を立つて、次の間へ出
あと つ
ましたから、万太郎は其後から継いて出て。
このたび
万『先生、今度の御厚恩、何と御礼を申して宜いか、万太郎、終生此
御恩は忘却仕りませぬ』
と畳に額を摺付け、涙を流して礼を述べますと、平八郎も其日は元日
の事でございますから、竹上万太郎に対しては何事も云はず、他の門人
等と共に年酒の盃も済み、万太郎も同家を辞して、他の家々へ回礼に出
のち
掛けました、其後とても平八郎からは一向に刀剣に就いての事は言ひ出
さないが、万太郎の方では却つて何にも小言を聞かない方が薄気味が悪
い、其処で守口の白井孝右衛門の方へ参りまして。
いろ/\
万『昨年は種々御厚志に預かりまして、有難う存じまする、夫れに就
ど う
いて後素先生には、一向に何事も仰しやらないですが、如何いふ思召し
でございませう』
孝『イヤ夫れは別に如何と云ふ事もないが、先生も新年早々に、門人
を叱るのは宜くないとの思召しで、何とも仰しやらないのであらうと思
ふ、併しいづれ何とか御異見をなさるであらう』
と云つて居りましたが、果して平八郎は十五日を過ぎてから、万太郎
のち
を居間に呼入れ、他人の聞かぬやうに異見を加へましたが、其後は更に
き
恩にも被せず、相変らず養成をして居りました、
なかば いつも
扨其年の春も過ぎ、五月の中旬頃、平八郎は例の通り東奉行所に於て公
務に従事いたして居りますと、奉行高井山城守の家来が、平八郎の詰所
へ参りまして。
ひ
△『平八郎殿、お退けになる時に、御前が何か御用があると仰しやい
ますから、左様御承知下さい』
平八郎は何の御用かと思ひながら。
平『委細承知仕りました』
と云つて考へたが、御用があるとは、公用であるか、夫れとも山城守
が自分の用談であるか分りません、平八郎は役所の退ける時間を待つて、
山城守の居間へ参りまして。
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