Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その29

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第六席 (4)

管理人註
   

      いよ/\  『其方は 愈 養子格之助に、家名を継がせると申すのか』                             をり  『左様でございます、格之助も当年は、最早十九に相成り居ますれ ば、御用の勤まらぬ事もございますまいかと存じまする』  『其方は隠居をして何をいたす考へぢや、私塾にても開いて、学問              ほか を教授する考へか、何かまた他に望む事があらう、其望みを予に打明け て話し見い、予の力にて及ぶへき事であれば、其方の為めに力を尽して      ど う 遣るが、如何ぢや、打明けて話て見ぬか』  『いつに変らぬ厚意の段、有難く存じまする、御言葉にあまへ斯様                              たとへ なる事を申し上げまするは、実に恐縮の至りではございますが、仮令御                       つら 役所向は何でございませうとも、御旗本の末席に列なりますれば、生涯    うへ 是れに上越す望みはございません』  『予も大抵左様の事であらうと存じて居つたのぢや、夫れゆえ与力                    くらゐ の役目を倅に譲るのぢやな、其方として其位の望みは有るべき事ぢや、                    つか 予が参府をしたる上は、何とか尽力をして遣はさう、今日まで与力とし ての勤め方に於いても、予は充分に其勤功を認めて居るから、機を見て      とりな 老中方へ、執成しをして遣はさう』  と高井山城守は、唯自分が信用をして居る平八郎の事だから、余計な 事を云つたのを信じて、平八郎は、此時からしてコリヤ事に依つたら旗 本になれるかも知れないと云ふ野心を起した、如何に平八郎が人才のあ る男でも、明治の今日とは違つて与力であつたものが、直に御直参の旗 本にはなられぬ、まづ江戸表へ出て、一旦は御家人の株でも買つて身分 を替へた其上でなければ、到底旗本になれるものではない、夫れ位の事 を知らぬ高井山城守でもなく、平八郎とても分つてあるべき筈だが、悪 く云へば少しく慢心をしたとでも申しませうか、山城守が江戸表へ帰ら                       さま/゛\ れたら、必ず昇進の出来るものだと思つて、尚ほ種々に頼み込んで、其 日は屋敷に立帰り、高井の辞職の事は、格之助にも、誰にも語らず、相    にち/\ 変らず日々勤めて居りました。


相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について


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