Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その31

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第七席 (1)

管理人註
   

                 ちやく  大塩平八郎は三月廿二日に江戸表へ着いたしまして、取敢ず桜田久保 町の人入れ家業、甲州屋銀蔵と云ふ者の家に落着きました、此人入れ家            ちうげん 業と云ふのは諸大名方へ仲間、その他の人足を入れるのを家業として居                                しゅく りまして、お国入りとか、参勤交代の節は、道中筋のお供をもして、宿々                                 で人足の事を取扱ひます、平日は親分とか親方とか、または元締とか尊      こぶん 称られて、乾児の二三人位は絶えず家に置いてあります、また旗本屋敷                  なりすけ へ計り出入をして、渡り仲間、謂ゆる折介の出入りを取扱つて居るのも、 矢張り人入れ稼業と申しましたが、此甲州屋銀蔵といふのは、諸侯方へ       はう                あきうど お出入をする方で、大阪にも家を持つて居ります、商家の方で云へば、 大阪の方は出店とか、今日で云ふと支店とか、分店とか、また出張所と     かくあひ でも云ふ格合のもので、銀蔵は時々大阪へ来る事もありますので、大塩 平八郎の屋敷へも出入をして居りました、其処で今度江戸表へ下りまし たに就いて、旅宿を定めるまでに取敢ずこの甲州屋へ落着いたのでござ います、平八郎も江戸は今度始めでございますから、互に寒暖の挨拶が 済みますと。                            いろ/\  『トキニ銀蔵殿、今度斯うして出府いたしたに就いてし種々話しも あるが、マア差当り何処か宿屋を周旋に預りたい』                           とめ  『宜しうごぜへます、私の宅がモウ少し広けりやアお泊申すのです が、御覧の通りで、夫れに若い奴等が斯うしてゴロ/\居りやすから、  やか                      わつち お喧ましくツて如何する事も出来やアしませんから、私の兄弟分の遠州 屋半兵衛と申しますのが、此桜田の和泉町に宿屋渡世をして居りますか    そ こ ら、其家へお世話をいたしませうが、併しマア何もごぜんやせんが、一           ゆる 口差上げやすから、御緩りとなせへまし、其間に若へ者を一走り、和泉             町の遠州屋へ、先触れを為せて置きやすから』           おほげう  『先触れとは余り大業であるが、何分宜いやうに頼み申す』  『お供はお一人で』  『左様……コレ英治、此方が話しをして置いた甲州屋の親分だ』  『親分とは恐れ入りやす』  『私は英治と申す者、以後お見知り置き下さるやうに』            ど う      いら  『恐れ入りやす、如何も旦那の処に在つしやるだけあつて、御挨拶 が立派だ……オイお富は如何した、ナニ湯からまだ帰らない、恐ろしい                         いら 長湯だな、旦那、どうぞまア此方へ、モウ少しお早く入つしやると向島 も花盛りでごぜえやしたが、モウ少し遅いでせう、小金井の方はまだ好 いかも知れませんから、お案内をいたしませう』  と云つてる処へ、銀蔵の女房お富も、湯から戻つて参りましたから、    ひきあは 銀蔵が紹介せをする、初対面のお挨拶が済むと、酒の支度に取掛り、ま        あぶ づ海苔か何かを焙つて佃煮などで酒を飲み初めて居る内、二三の鉢肴が 出る、椀盛が出る、其日は雑談をして夕方から、銀蔵が遠州屋へ案内を                          ひとま すると、前刻モウ若者が来て承知をして居りますから、一室を掃除して 待つて居る処、殊に銀蔵自身に送つて参りましたから、遠州屋でも叮嚀 に待遇をいたします。


相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」

相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について格合
しかた、やり方、
流儀


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