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ちやく
大塩平八郎は三月廿二日に江戸表へ着いたしまして、取敢ず桜田久保
町の人入れ家業、甲州屋銀蔵と云ふ者の家に落着きました、此人入れ家
ちうげん
業と云ふのは諸大名方へ仲間、その他の人足を入れるのを家業として居
しゅく
りまして、お国入りとか、参勤交代の節は、道中筋のお供をもして、宿々
た
で人足の事を取扱ひます、平日は親分とか親方とか、または元締とか尊
て こぶん
称られて、乾児の二三人位は絶えず家に置いてあります、また旗本屋敷
なりすけ
へ計り出入をして、渡り仲間、謂ゆる折介の出入りを取扱つて居るのも、
矢張り人入れ稼業と申しましたが、此甲州屋銀蔵といふのは、諸侯方へ
はう あきうど
お出入をする方で、大阪にも家を持つて居ります、商家の方で云へば、
大阪の方は出店とか、今日で云ふと支店とか、分店とか、また出張所と
かくあひ
でも云ふ格合のもので、銀蔵は時々大阪へ来る事もありますので、大塩
平八郎の屋敷へも出入をして居りました、其処で今度江戸表へ下りまし
たに就いて、旅宿を定めるまでに取敢ずこの甲州屋へ落着いたのでござ
います、平八郎も江戸は今度始めでございますから、互に寒暖の挨拶が
済みますと。
いろ/\
平『トキニ銀蔵殿、今度斯うして出府いたしたに就いてし種々話しも
あるが、マア差当り何処か宿屋を周旋に預りたい』
とめ
銀『宜しうごぜへます、私の宅がモウ少し広けりやアお泊申すのです
が、御覧の通りで、夫れに若い奴等が斯うしてゴロ/\居りやすから、
やか わつち
お喧ましくツて如何する事も出来やアしませんから、私の兄弟分の遠州
屋半兵衛と申しますのが、此桜田の和泉町に宿屋渡世をして居りますか
そ こ
ら、其家へお世話をいたしませうが、併しマア何もごぜんやせんが、一
ゆる
口差上げやすから、御緩りとなせへまし、其間に若へ者を一走り、和泉
さ
町の遠州屋へ、先触れを為せて置きやすから』
おほげう
平『先触れとは余り大業であるが、何分宜いやうに頼み申す』
銀『お供はお一人で』
平『左様……コレ英治、此方が話しをして置いた甲州屋の親分だ』
銀『親分とは恐れ入りやす』
英『私は英治と申す者、以後お見知り置き下さるやうに』
ど う いら
銀『恐れ入りやす、如何も旦那の処に在つしやるだけあつて、御挨拶
が立派だ……オイお富は如何した、ナニ湯からまだ帰らない、恐ろしい
いら
長湯だな、旦那、どうぞまア此方へ、モウ少しお早く入つしやると向島
も花盛りでごぜえやしたが、モウ少し遅いでせう、小金井の方はまだ好
いかも知れませんから、お案内をいたしませう』
と云つてる処へ、銀蔵の女房お富も、湯から戻つて参りましたから、
ひきあは
銀蔵が紹介せをする、初対面のお挨拶が済むと、酒の支度に取掛り、ま
あぶ
づ海苔か何かを焙つて佃煮などで酒を飲み初めて居る内、二三の鉢肴が
出る、椀盛が出る、其日は雑談をして夕方から、銀蔵が遠州屋へ案内を
ひとま
すると、前刻モウ若者が来て承知をして居りますから、一室を掃除して
待つて居る処、殊に銀蔵自身に送つて参りましたから、遠州屋でも叮嚀
に待遇をいたします。
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相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」
相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について」
格合
しかた、やり方、
流儀
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