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扨其翌日になりますると、銀蔵は、早くから遠州屋へ出て参りまして。
さぞ つかれ
銀『旦那、嘸お疲労でごぜへやせう』
かたじけ
平『オゝ銀蔵殿、昨日は馳走に預かつて辱ない』
銀『どういたしやして、斯うしてお下りになるのなら、前に一寸お手
ゆく だしぬけ
紙でも頂きやア、品川までゝもお迎へに往んでごぜへやしたのに、突然
なもんだから』
いかゞ
平『ナニ、前に知らせては却つて如何と存じて』
をとゞし き のち
銀『御存じの通り、私も一昨年大阪へ往つた限りで、其後は参りませ
んが、尤も備前様の御用で、お国の岡山まで去年秋に参りましたが、其
そ
時にやア大阪は素通りで、常安町の方へも立寄りませんでした、而して
旦那、今度は何の御用でお下りになりました』
を
平『実は三四年前まで、大阪の町奉行を勤めて居られた、高井山城守
ついで
殿へ少し用件があつて、夫れに序であるから、御儒者衆の林様の用人で、
谷村幸之進と云ふお人をも、訪問いたし度く存じてまゐつたのぢや』
さ
銀『然うでごぜへやすか、私も武家家業はして居りますが、お旗本衆
の方はお出入をいたしやせんから、詳しくは存じやせんが、其高井様て
やしき
へのは、南割下水に慥か御邸宅があるやうに聞いて居りやす』
かね
平『私は予て南割下水と云ふ事は承つて居つた……林大学頭様のお邸
はたもと
宅へも伺ひ度いが、旗下屋敷の事を詳しく知つて居る者は無からうかな』
銀『そりやアごぜへやす、私の処へとき/゛\遊びに参りやす、京橋
弓町の相模屋清蔵と云ふのは、お旗下の屋敷へ人入れをして居りやすか
ら、此男に聞きやア大抵の事は、分るだらうと存じます』
平『それは誠に幸ひの事ぢや』
こ ゝ
銀『併し旦那、此家の主人の半兵衛だつて、お旗下の事は随分詳しい
方でごぜへやすから半兵衛を呼んで聞いて御覧なせへやし』
と云ふので平八郎は、早速遠州屋半兵衛を座敷へ招きまして。
平『半兵衛、多忙の中を呼寄せて迷惑であらう』
銀『イエ如何いたしまして、一向にお構ひも申しませんで』
平『トキニお前、南割下水の高井山城守殿を知つて居るかへ』
あ
半『イエ、殿様へお目通りをした事はございませんが、彼の殿様は三
いら
四年前まで、大阪の町奉行を勤めて在つしやいましたお方で』
平『左様ぢや、御帰府になつてから御壮健であるかな』
半『ヘイ其辺の事は詳しく存じませんが、彼の殿様も今日ぢや、御隠
居役とでも申ませうか、慥か何でございます、西丸の御留守居をお勤め
になつてるさうで、お旗下も斯ういふお役をお勤めになつちやア、モウ
仕方がございません』
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相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」
相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について」
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