Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その32

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第七席 (2)

管理人註
   

 扨其翌日になりますると、銀蔵は、早くから遠州屋へ出て参りまして。       さぞ  つかれ  『旦那、嘸お疲労でごぜへやせう』                    かたじけ  『オゝ銀蔵殿、昨日は馳走に預かつて辱ない』  『どういたしやして、斯うしてお下りになるのなら、前に一寸お手                   ゆく           だしぬけ 紙でも頂きやア、品川までゝもお迎へに往んでごぜへやしたのに、突然 なもんだから』                 いかゞ  『ナニ、前に知らせては却つて如何と存じて』             をとゞし           のち  『御存じの通り、私も一昨年大阪へ往つた限りで、其後は参りませ んが、尤も備前様の御用で、お国の岡山まで去年秋に参りましたが、其                               時にやア大阪は素通りで、常安町の方へも立寄りませんでした、而して 旦那、今度は何の御用でお下りになりました』                         『実は三四年前まで、大阪の町奉行を勤めて居られた、高井山城守               ついで 殿へ少し用件があつて、夫れに序であるから、御儒者衆の林様の用人で、 谷村幸之進と云ふお人をも、訪問いたし度く存じてまゐつたのぢや』      『然うでごぜへやすか、私も武家家業はして居りますが、お旗本衆 の方はお出入をいたしやせんから、詳しくは存じやせんが、其高井様て             やしき へのは、南割下水に慥か御邸宅があるやうに聞いて居りやす』      かね  『私は予て南割下水と云ふ事は承つて居つた……林大学頭様のお邸          はたもと 宅へも伺ひ度いが、旗下屋敷の事を詳しく知つて居る者は無からうかな』  『そりやアごぜへやす、私の処へとき/゛\遊びに参りやす、京橋 弓町の相模屋清蔵と云ふのは、お旗下の屋敷へ人入れをして居りやすか ら、此男に聞きやア大抵の事は、分るだらうと存じます』  『それは誠に幸ひの事ぢや』          こ ゝ  『併し旦那、此家の主人の半兵衛だつて、お旗下の事は随分詳しい 方でごぜへやすから半兵衛を呼んで聞いて御覧なせへやし』  と云ふので平八郎は、早速遠州屋半兵衛を座敷へ招きまして。  『半兵衛、多忙の中を呼寄せて迷惑であらう』  『イエ如何いたしまして、一向にお構ひも申しませんで』  『トキニお前、南割下水の高井山城守殿を知つて居るかへ』                             『イエ、殿様へお目通りをした事はございませんが、彼の殿様は三                 いら 四年前まで、大阪の町奉行を勤めて在つしやいましたお方で』  『左様ぢや、御帰府になつてから御壮健であるかな』  『ヘイ其辺の事は詳しく存じませんが、彼の殿様も今日ぢや、御隠 居役とでも申ませうか、慥か何でございます、西丸の御留守居をお勤め になつてるさうで、お旗下も斯ういふお役をお勤めになつちやア、モウ 仕方がございません』


相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」

相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について


『大塩平八郎』目次/その31/その33

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