Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.9.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その33

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第七席 (3)

管理人註
   

 と、何の気も無く云つたのが平八郎の胸にギツクリ、と云ふのは頼み                  かね に思ふ其人に勢力がなくなツちやア、予ての望みが如何なるかも知れな                             とりな い、山城守が大阪在勤中に、江戸へ帰れば老中方へ時機を見て執成しを                       のち して遣らうと堅く云つて呉れたが、帰府してから後モウ三年も経つが、   おとづれ          しびれ 何の音信もないので、平八郎、痺を切らせて遥々と江戸三界まで出て来                 あて たのに、斯ういふ容子では約束も、当にはならないと思ひましたが、イ ヤ/\、林大学頭に逢つて見たらば、また何とか青雲の道もあらうと思 ひましたから。  『ハゝア高井様は西丸の御留守居をお勤めになるかな、お前、林大 学頭様の事は知らないかへ』  『ヘイ、其林様なら私も御屋敷へお出入をいたします、林様と云ふ のは同じ御儒者衆で二軒ございまして、式部少輔様の方の御知行は五百 石でございますが、貴下の仰しやいまする大学頭様は三千五百石、同じ 林様でも大層違つたもので、併し夫れでも御勝手元は余り御充分でない               かくれ と見えまして、昨年の暮れにお死去になりました、御用人の谷村幸之進 様と仰しやる方なんぞは、お家の為めに余程御心配をなすつたので、ま        おとし た貴下、そんな老齢でもないのに、惜い事でございます』                               しやべ  と問はず語りに半兵衛は、林の用人谷村幸之進が、病死した事を饒舌            いよ/\ りましたので、平八郎は 愈 驚いて。  『ナゝ何と云ふ、谷村氏は死去せられたか』                        かくれ  『ヘイ昨年の十二月……日は忘れましたが、お死去になりました、 貴下は谷村様とは御懇意でございましたか』  『イヤ実は今度の出府も、其谷村氏に是非お目に掛りたく存じて参 つたのぢやが高井公の当時の御役ネと云ひ、谷村氏が居られぬとして見 ると……』   あと            こま  と跡言ひさして、平八郎、両手を拱ぬき、暫らく無言で何か考へて居 りました、銀蔵も斯うなると少々手持不沙汰でございますから、そこ/\ に挨拶をして立帰りました。


相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」

相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について


『大塩平八郎』目次/その32/その34

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