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今度大塩平八郎の供をして、江戸表へ下りました英治と云ふのは、同
なにがし
じ天満に暮して居ります、窪田某と云ふ医者の忰でございまして、幼年
やしき
の頃から大塩の邸宅に居つて、平八郎を主人とも師匠とも思つて居りま
す位だから、平八郎が思案に暮れて居りますのを見て、共に心を痛めま
して。
英『先生、当家の亭主の話しでは、谷村さんは誠にお気の毒な事でご
ざいますが、併し私が一応林様の御屋敷の近所へ往つて、全く御病死を
なすつたか、聞き糺して参りませう、主人の話しに偽りは無論あります
まいが、何だか私に夢のやうな心持がいたしますから』
平『デハ英治、お前御苦労だが往つて来て呉れい』
英『畏まりました』
英治は直ぐに遠州屋半兵衛に、林大学頭の屋敷を詳しく聞いて出掛け
やが
ましたが、軅て立戻りまして。
英『先生、全くでございます、私は林様の御近所へ往つて、一二軒聞
こ ゝ あるじ
合せました処が、当家の主人が云つた通り、去年の師走の廿一日に、御
かくれ
死亡になつたと申します』
平『左様か、夫れは残念の事ぢや、谷村氏が居られんとすると、林の
こちら い
御前にお目通りを願つた処で、此方の希望を述ぶると云ふ訳にも可かん
から、是れは断念をして、此上は城州公にお目に掛つて、御意見を承つ
て見やう』
と其日に大塩平八郎は、南割下水の高井山城守の屋敷を訪問いたしま
すと、折よく山城守には在宿、で大阪から平八郎が出て来たと聞いて、
早速客間へ通し、一別以来挨拶が済みますと、山城守には。
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相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」
相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について」
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