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そ ち
山『早いものだな、其方に別れてからモウ足掛四年に相成る、養子の
格之助には、精勤をいたし居るであらうな』
のち にち/\
平『有難う存じます、私退職の後は、日々出勤仕つて居ります、先般御
当地には大火がございましたさうで』
山『随分大火ではあつたが、下町の方が焼けたので、此辺は何の事もな
いのぢや……何か其方は江戸へ花見にでも参つたのか、モウ花は散つたで
あらう、併し能くマア訪ねて来て呉れた』
と云つて、一向に平八郎の一身に就いての話しが出ませぬ、そこで平八
郎は。
ど う
平『御前へ平八郎予て願ひ置きましたる儀、其後如何いふお運びになつ
て居りまするか、恐れながら伺ひ申し上げまする』
山城守は小首を傾けて。
と
山『願ひ置いたとは何であつたか、平八郎、予も老る年に記憶がなくな
つてな』
平『恐れ入りまする、私が願ひ置きましたる儀は何卒して御旗本の末席
つら
に列なり度く存じまして、先年貴下様が大阪を御引払ひ遊ばさるゝ際、懇
をり
願仕りましたる処、機を見て御老中様方へ、お計り下し置かれまするやう
たより
仰せ聞けられましたので、実は一旦千秋の想ひにて、御音信を相待ち置り
ましたやうな次第で、今回の出府も、他に用向とては之無く、甚だ鉄面皮
にはございますが、どういふ御都合でございませうか……』
わざ/\
山『何かと思つたら、平八郎、其事であつたか、夫れで態々出府したと
は、気の毒ぢや、実は斯様ぢや、予も帰府早々に何んとか尽力をして遣は
ゐた
さうと、時機を見て居が、トンと老中方へ申上る機会もなく、ツイ一日延
うちやつ
びなつて居つたのぢや、併し予も打棄て置いたのでは無い、同僚の者に内々
そ ち
談じて見た処が、全体此大阪の町奉行の組与力はこりや其方も知る如く、
かくあひ よ
お抱へ席であるから、其方の前ではあるが、譜代とは余程格合が違ふ、仮
し かど
令やまた譜代席となつた処で、更に進んで御目見以上となり、一廉の役人
となるには容易の事では無い、前々から夫々役順に依つて、昇進するのが
あたりまへ づ
当然であるから、予も其事を聞いて成程心注き、其事ネを手紙にて申し送
らうかとも思つた、ツイ御用に取紛れて失念いたした、尤も何ぢや、是れ
い か とな
は平八郎、其方を指して云ふのでは無いが、如何程智恵者と称へられ、ま
た秀才の誉のある者でも、其身与力の職にあつて、殊に百三十余里も隔た
つた遠方から呼出されて、御直参となつて役附をすると云ふやうな事は、
有るべき事では無い』
平八郎は斯う云はれて見ると、自分にも無理な望みであると云ふ事に心
げうこう ま
注きましたが、そこはまた万一の僥倖と云ふ事もあらうかと、未だ充分の
断念が出来なかつたものと見え、唯頭を下げたるまゝ、暫らく黙つて居り
ますから、山城守も気の毒に思ひ、到底無益な事だから、断然諦めて了へ
とも云ひ兼ねまして。
山『併し今も申す如く、まだ御老中方へはお話しせずに居つたのだから、
斯うして其方が出府したのを機として、何とか予も今一応熟考いたして、
き ち さ う
相成るべくは吉左右を聞かせる事にして遣はさう』
い
山城守、云はなくつても宜いのに、気休めを云つて、其日は余談に時を
移し、平八郎も夕刻に旅宿へ引取りました。
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相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」
相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について」
格合
しかた、やり方、
流儀
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