Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その35

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第七席 (5)

管理人註
   

           そ ち  『早いものだな、其方に別れてからモウ足掛四年に相成る、養子の 格之助には、精勤をいたし居るであらうな』                のち   にち/\  『有難う存じます、私退職の後は、日々出勤仕つて居ります、先般御 当地には大火がございましたさうで』  『随分大火ではあつたが、下町の方が焼けたので、此辺は何の事もな いのぢや……何か其方は江戸へ花見にでも参つたのか、モウ花は散つたで あらう、併し能くマア訪ねて来て呉れた』  と云つて、一向に平八郎の一身に就いての話しが出ませぬ、そこで平八 郎は。                         ど う  『御前へ平八郎予て願ひ置きましたる儀、其後如何いふお運びになつ て居りまするか、恐れながら伺ひ申し上げまする』  山城守は小首を傾けて。                          『願ひ置いたとは何であつたか、平八郎、予も老る年に記憶がなくな つてな』  『恐れ入りまする、私が願ひ置きましたる儀は何卒して御旗本の末席  つら に列なり度く存じまして、先年貴下様が大阪を御引払ひ遊ばさるゝ際、懇          をり 願仕りましたる処、機を見て御老中様方へ、お計り下し置かれまするやう                          たより 仰せ聞けられましたので、実は一旦千秋の想ひにて、御音信を相待ち置り ましたやうな次第で、今回の出府も、他に用向とては之無く、甚だ鉄面皮 にはございますが、どういふ御都合でございませうか……』                           わざ/\  『何かと思つたら、平八郎、其事であつたか、夫れで態々出府したと は、気の毒ぢや、実は斯様ぢや、予も帰府早々に何んとか尽力をして遣は          ゐた さうと、時機を見て居が、トンと老中方へ申上る機会もなく、ツイ一日延                うちやつ びなつて居つたのぢや、併し予も打棄て置いたのでは無い、同僚の者に内々                           そ ち 談じて見た処が、全体此大阪の町奉行の組与力はこりや其方も知る如く、                           かくあひ       よ お抱へ席であるから、其方の前ではあるが、譜代とは余程格合が違ふ、仮                             かど 令やまた譜代席となつた処で、更に進んで御目見以上となり、一廉の役人 となるには容易の事では無い、前々から夫々役順に依つて、昇進するのが あたりまへ                 当然であるから、予も其事を聞いて成程心注き、其事ネを手紙にて申し送 らうかとも思つた、ツイ御用に取紛れて失念いたした、尤も何ぢや、是れ                      い か         とな は平八郎、其方を指して云ふのでは無いが、如何程智恵者と称へられ、ま た秀才の誉のある者でも、其身与力の職にあつて、殊に百三十余里も隔た つた遠方から呼出されて、御直参となつて役附をすると云ふやうな事は、 有るべき事では無い』  平八郎は斯う云はれて見ると、自分にも無理な望みであると云ふ事に心                げうこう            注きましたが、そこはまた万一の僥倖と云ふ事もあらうかと、未だ充分の 断念が出来なかつたものと見え、唯頭を下げたるまゝ、暫らく黙つて居り ますから、山城守も気の毒に思ひ、到底無益な事だから、断然諦めて了へ とも云ひ兼ねまして。  『併し今も申す如く、まだ御老中方へはお話しせずに居つたのだから、 斯うして其方が出府したのを機として、何とか予も今一応熟考いたして、       き ち さ う 相成るべくは吉左右を聞かせる事にして遣はさう』               山城守、云はなくつても宜いのに、気休めを云つて、其日は余談に時を 移し、平八郎も夕刻に旅宿へ引取りました。


相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」

相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について格合
しかた、やり方、
流儀
 


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