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大塩平八郎程の人物だが、与力から旗本に昇進しやうとの野心を起した
のは、謂はゆる刃金が裏へ廻つたとでも申しませうか、是れ等の望みが水
泡になつたのも後日に騒動を起す原因の一ツでございませう、平八郎は遠
州屋半兵衛方へ戻つて来ますと、英治も心配をして居りますから。
いかゞ
英『先生、お首尾は如何でございました』
ま
平『イヤ実は何ぢや、城州公も御老年であるから、未だ充分に老中方へ
お謀り下さらぬのぢや』
半『左様な事でございましたか』
わざ/\
平『併し斯うして態々出府したに就て、滞在中には何とか御尽力下さる
そ ち
やうに仰せられたから、其方も余り心配をいたさぬやうに、ナニ罷り間違
つた処で元々の話しで、江戸表見物に参つたと思へば、夫れで済む事ぢや、
めうにち
花は遅くとも明日は甲州屋を誘つて、向島へでも出掛けて見やうでは無い
か』
わざ さ
と態と平然として居りますが、平八郎、心中は甚だ不愉快だ、然りとて
山城守へ対し、それぢやア約束が違ふと、理屈を云ふ事も出来ません、そ
こで其翌日は久保町の甲州屋銀蔵を誘つて、向島へ出掛けましたが、モウ
桜も九分通り散つてございますから、是れでは余りに興がないと云ふので、
てう
其日は帰つて、翌日はまた小金井の桜を見に行きますと、此処は恰ど見頃
でございますが、花を見ても酒を飲んでも、平八郎は一向に面白くない、
銀蔵はそんな事も知らないから。
こつち
銀『旦那、どうも桜と来ちやア当地に限るやうでごぜへやす、私も大阪
の桜の宮へ花の時分に往つて見た事はごぜへやすが、江戸の桜に比べちや
○ ○
アカラ駄目でごぜへやす』
そ う
平『左様ぢやな』
こ
銀『此小金井の花は斯んなですが、向島の真盛りの時分に往つて御覧な
あ まる
せへやし、昨日御覧でしたらうが、彼の散つた枝に恰で牡丹のやうな桜が、
一面に咲いてるのですから美事なもんでごぜへやす』
いろ/\ すゝ
と種々話しを仕かけて酒を侑めましても、平八郎一向に酔ひません、銀
蔵は苦労人だから、斯ういふ時には早く帰つた方が宜からうと思ひました
から。
そろ/\
銀『旦那、遠方でごぜへやすから、モウ叙々と帰るといたしやせう』
平『左様に致さう、昨日と云ひ今日も御苦労であつた、併しモウ花も見
飽きたやうぢや』
と早く遠州屋へ立帰りまして。
る す
平『亭主や、私の不在中に高井様から、お使は来なかつたか』
どちら
半『ヘイ、何方からもお人は見えませんで……』
平『左様か……』
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相蘇一弘
「大塩平八郎の
出府と「猟官運
動」について」
相蘇一弘
「天保六年、
大塩平八郎の
「江戸召命」
について」
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