ゆが
此大塩平八郎と云ふ人は、曲んだ事の嫌ひな上に、実に正直な人であ
つたには違ひは無いが、平八郎だからと云つて木の股から生れたのでは
ちやゝ
ない、矢張り青楼の段梯子を昇り降した事はある、二十歳余りの時には、
曾根崎新地へ遊びに往つて、芸妓のお広と云ふのに馴染を重ね、遂に文
みつけ やしき
政元年に落藉はしたものゝ、平素の気質が気質だから、自邸へ直ぐに引
入れるなどといふ事は致しません。
此お広といふのは、新地の一丁目、茶屋和市の娘でございましたが、
かね
どうも青楼娘では聞えが悪いから、予て懇意にいたして居る処の般若寺
村、これは天王寺から余り遠くない処でございます、其般若寺村の百姓
で忠兵衛といふ者がある、其忠兵衛の妹と云ふ事にして、名もお勇と改
めさせ、自分の屋敷に離座敷がございますから妾と云ふ事にして、住は
せてありましたが、其実は正妻も同様、何くれとなく平八郎の世話から、
まかな
家事の賄ひをして居りました。
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