Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その45

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第九席 (4)

管理人註
   

 『左様な事を申されたか、実に以ての外ぢや、山城守殿、其身町奉行          した/゛\ の職にありながら、下民の今日の困苦を少しも顧みず、断念せよとは何事 ぢや……モウ奉行も、また公儀の役人をも頼みには致さぬ、何事を云つた 処で無益ぢや、此上は吾一身を犠牲に供しても、窮民を救はねば相成らぬ』            ほぞ  そこで平八郎は決心の臍を固めまして、是れから予て吾れと意見を同じ         にはか うする処の人々を俄然に呼び集めました、何事であるかと大塩の屋敷へ集 まりましたのは、矢張り東組の同心で、庄司儀左衛門、近藤梶五郎、吉見 九郎右衛門、守口町の白井孝右衛門等をはじめ、十数名の者でございます、 平八郎は一同に向かひまして。     をの/\  『扨各々は御苦労に存ずる、予てお話し申して置いたる御蔵米の一條、 一度ならず二度三度、跡部殿へ願ひ出したる処、最初の間は至極好都合の                しか/゛\ やうであつた処が、今日に至つて云々斯様々々の申し分、尤も御城代土井 公が其如く申されたのでもあらうが、併し町奉行たる身を以つて、然う云                みち はれたからと云つて、他に救恤の途を考へずして、断念せよと云はれしは、                     おの/\ 甚だ以つて其意を得ざる次第ではござらぬか 各 は何と思はるゝか』  『イヤ実に心外千万、奉行たるべき人が然う云ふ了簡であると、こり や所詮此後頼みとする事は出来ません』       いふ  『夫れと云のも近頃はアノ跡部と云ふ御奉行は、吾が組下の者は有つ て無き者の如く、兎角西組の者を引立らるゝ処から、或は御城代の名にし て、自分の腹でそんな事を云ふて居られるのかも知れません』  吉見九郎右衛門も膝を進ませまして。  『併し御奉行の一存にしろ、また土井公が実際左様に仰せられたにも せよ、一旦断念せよと云ひ出した上は、モウ所詮何事を願つても駄目かと 存じます、夫れに就いて先生、貴下のお考へもございませう、夫れが承ま はり度うございます』               たより  『拙者はモウ公儀の役人を頼寄には致さん、此上は当地の豪家を説い          て、金なり米なり出ださせて、目下焦眉の難を救ふより他に致し方はある まいかと存ずる』                   『成る程、夫れはよい処へお気注きになりました、先づ十人両替の者              く ら           ときさと を始めとして、其他有福に生活して居る者を小口から説諭したならば、必 ず出金をいたして呉れませう』  『そこで拙者は、まづ自身に今橋の鴻池善右衛門方へ参つて、直々に 懇談をして見やうと思ふ、最初に善右衛門を承知させ、彼れが出金ほして 呉れゝば、其他の豪家は一も二もなく、出金をして呉れるは知れた事…… 併し数ある豪家を、拙者一人で頼み歩いて居つては、日数もかゝる事だか ら、御苦労ではあるが、各々に於ても、手を分けて此事に御奔走が願ひた い』  『其儀は承知仕りました、先生のお差図に従ひ、何れへでも参ります る』                       あすこ  と協議の末、大塩平八郎は、甲は此処へ、乙は彼処へと指図をして、金 調に取掛る事に相成りました。

   


『大塩平八郎』目次/その44/その46

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