Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その46

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第九席 (5)

管理人註
   

 扨平八郎に於ましては、当時大阪第一の素封家、鴻池屋善右衛門方へ出 掛けました、此鴻池屋と云ふのは、当今も同じく、今橋二丁目、難波橋筋 の西北角に立派な家搆へ、鴻池男爵の先々代でございます、全体鴻池と云 ふのは屋号で、姓は山中と云ふのですが、維新後町人に苗字が許された時                  な の から、この鴻池屋は一時山中の姓を名告つた事がある、けれども鴻池の方 が、日本国中に鳴響いて居ると云ふので、また山中を鴻池と改めたのでご ざいます、余談を申上げて恐れ入ります。  『御免下され』  と云つて平八郎は、鴻池善右衛門方の店へ這入りますと、今日とは違つ て其頃には、店の間に別家と申して、謂ゆる通ひ番頭なる者が数名と、手                          さむらひ 代や丁稚が大勢居合せましたが、諸藩へお出入をして、武家衆のお客には   なれ 能く馴て居りますから、いづれも頭を下げまする、平八郎は袴羽織で、蔵     さむらひ 屋敷詰の武家とは何処か変つて居りますから、一人の手代は上り口の処へ 出て両手を突き。    どちら  『何方様でございます』  『拙者は天満の大塩平八郎でござるが、御主人在宿であるなれば、御 面会が願ひたいもので……』  手代も大塩平八郎の名は能く存じて居ります、此鴻池に限らず、当時大                              たやす 阪の豪家では誰が訪ねて来て主人に会ひたいと云つたつて、然う容易く面         たとへ          る す 会は致しません、仮令宅に居りましても、不在だと云つて其人を帰すか、 番頭手代の者が主人に代つて面会するかの二ツでございましたが。此日は 主人の善右衛門、店の間に出て坐つて居りましたから、善右衛門は平八郎 の顔を知つて居る、平八郎の方でも素より知つて居りまして、互に顔を見 合せましたから、奥の間に逃げて這入るといふ訳にも参りません、店の間 に居合はせた者は悪い時に御主人が店へ出ておいでになつたと思つて顔を                      こたへ 見合わせて居る、取次に出た手代の者は、何と答てよいか分りませんから、 番頭の庄兵衛、伊兵衛の前に往つて、大塩平八郎の口上を述べました、処 が二人の番頭も、現にそこに主人が座つて居りますから、唯今お不在だと も云はれませんから、善右衛門の傍へ来て小声で。  『旦那様、大塩様が御面会が致したいと仰しやいますが、私共が御名 代に……』  『イヤ、今大塩様は私の顔を御覧になつたから、お目に掛らぬと云ふ 訳にいかん、唯今善右衛門、お目にかゝりますと申して、玄関からお通し                          とりあつか 申して、いつもの座敷へ御案内をするが宜い、叮嚀にお待遇ひをせんとけ ればならんぞ』    かしこ  『畏まりましてございます』                         すまゐ  此庄兵衛と云ふのは、当時三別家の一人で、自分の住居は鴻池の本家の すぐ 直向ふ側で両替店を開き、大勢の手代を召使つて居りまして、矢張大名屋 敷へお出入をして居る旦那様でございますが、夫れでも善右衛門の前では 頭が上りません、其庄兵衛が自身に店の上り口へ来て頭を下げ。  『能くお出で下さりました、幸ひ善右衛門宅に居りますれば、御面会 仕ります、何卒玄関からお通り下さりますやうに』  と叮嚀に述ますと、平八郎も心中で、鴻池は流石に有名な素封家だけあ つて、物の礼義を弁へて居る庄兵衛を以て答へをさせるとは、能く行届い たものだ、感心なものだと思ひながら、中庭から玄関へかゝりますと、玄 関には是れも三別家の一人で伊兵衛と云ふのが出迎へて居りまして。    どうぞ  『何卒此方へお通り下さいませ』

   
 


『大塩平八郎』目次/その45/その47

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