さ
大塩平八郎は伊兵衛の案内に、刀を提げて客の間へ通りますと、座布団
すぐ
を敷いて座が設けてございます、直に火鉢に煙草盆を運び出す、跡へ茶と
きもの
菓子を持つて出ます、そこへ主人の善右衛門は、誠に質素なる衣服の上に、
ふだん
黒紬紋附羽織、袴を着けて出て参りました、平素袴を着けて居るのではな
いが、大塩へ対する礼義を重んじて、殊更に袴を着けて出たのでございま
す。
善『是れは大塩の御隠居様、其後は御存顔も拝しませぬが、いつも御壮
健の御様子で、憚りながら恐悦に存じまする』
平『イヤどうも、左様に叮嚀なる挨拶では、却つて痛み入る、勤務役中
もてなし
なれば兎も角も、今日では隠遁の拙者でござるから、然う慇懃に待遇され
ては恐縮いたす』
善『恐れ入ります、エー昨今は最早余日もなくなりました、夫れに時候
ネ怪しからん寒気も厳しうございまして……当年は春早々から不順で、殊
かゝり
に夏の上旬から雨や風の為めに、米価の騰貴いたしまするし、随つて世の
中は不景気な事で、何卒明年は宜しい年を迎へたいものでございます』
平『イヤ実は今日斯うして参つたのは、其米価の高直な事に就いて、御
相談に参つたので』
善『ヘエー夫れは如何様なる事の御相談でございますか』
こんねん
平『今も話されたる如く、今年の如く凶作は、まづ未曾有と申さねばな
あたひ
らぬ、定めて貴公にも知つて居らるゝであらうが、一升の米の価が、二百
文と相成つたのは前代未聞の事で、此天保元年の頃に、アノ瑞軒山……俗
あ
に天保山と云ふが、彼の山を築く時に、砂持をした事がござらう』
にぎは
善『ございました、余程賑しい事で……』
うた むこ まゝ
平『その砂持に出た者が謡つた俗謡に、お台場の土運び、向で飯喰て二
百と五十有難い/\、米が百に三升ぢやアわい……などゝ申した位、僅か
七八年前には、三升の米を買求むるに、百文の銭があれば宜かつたのに、
今日では其百文で、五合の米より売つて呉れぬとは、イヤモウ実に言語道
おびたゝ
断の事、夫れが為めに餓死する者も夥しく、所詮此儘に打棄て置かれぬと
よか
存じ、難波の御蔵米を取出して、施行を致したれば宜らうと思ひ立つたな
れども、是れは自分などの勝手に取計らはれる事ではない、夫れゆえに一
ケ月余りも前から忰格之助を以つて、町奉行山城守殿へ上申いたさせまし
たのぢや』
さぞ
善『夫れはハア御奇特な事で、窮民共は嘸や喜ぶ事でございませう』
しか/゛\
平『処が奉行は、云々斯様々々申されたのでござる』
いちぶしじう
と一伍一什を物語りますと、善右衛門は嘆息して。
善『ヘーエ……』
うつむ
と云つて差俯首きました、其時平八郎は言葉に力を入れまして。
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