Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その47

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十席 (1)

管理人註
   

                   大塩平八郎は伊兵衛の案内に、刀を提げて客の間へ通りますと、座布団                すぐ を敷いて座が設けてございます、直に火鉢に煙草盆を運び出す、跡へ茶と                             きもの 菓子を持つて出ます、そこへ主人の善右衛門は、誠に質素なる衣服の上に、                     ふだん 黒紬紋附羽織、袴を着けて出て参りました、平素袴を着けて居るのではな いが、大塩へ対する礼義を重んじて、殊更に袴を着けて出たのでございま す。  『是れは大塩の御隠居様、其後は御存顔も拝しませぬが、いつも御壮 健の御様子で、憚りながら恐悦に存じまする』  『イヤどうも、左様に叮嚀なる挨拶では、却つて痛み入る、勤務役中                              もてなし なれば兎も角も、今日では隠遁の拙者でござるから、然う慇懃に待遇され ては恐縮いたす』  『恐れ入ります、エー昨今は最早余日もなくなりました、夫れに時候 ネ怪しからん寒気も厳しうございまして……当年は春早々から不順で、殊    かゝり に夏の上旬から雨や風の為めに、米価の騰貴いたしまするし、随つて世の 中は不景気な事で、何卒明年は宜しい年を迎へたいものでございます』  『イヤ実は今日斯うして参つたのは、其米価の高直な事に就いて、御 相談に参つたので』  『ヘエー夫れは如何様なる事の御相談でございますか』              こんねん  『今も話されたる如く、今年の如く凶作は、まづ未曾有と申さねばな                             あたひ らぬ、定めて貴公にも知つて居らるゝであらうが、一升の米の価が、二百 文と相成つたのは前代未聞の事で、此天保元年の頃に、アノ瑞軒山……俗           に天保山と云ふが、彼の山を築く時に、砂持をした事がござらう』             にぎは  『ございました、余程賑しい事で……』             うた              むこ  まゝ  『その砂持に出た者が謡つた俗謡に、お台場の土運び、向で飯喰て二 百と五十有難い/\、米が百に三升ぢやアわい……などゝ申した位、僅か 七八年前には、三升の米を買求むるに、百文の銭があれば宜かつたのに、 今日では其百文で、五合の米より売つて呉れぬとは、イヤモウ実に言語道                 おびたゝ 断の事、夫れが為めに餓死する者も夥しく、所詮此儘に打棄て置かれぬと                        よか 存じ、難波の御蔵米を取出して、施行を致したれば宜らうと思ひ立つたな れども、是れは自分などの勝手に取計らはれる事ではない、夫れゆえに一 ケ月余りも前から忰格之助を以つて、町奉行山城守殿へ上申いたさせまし たのぢや』                    さぞ  『夫れはハア御奇特な事で、窮民共は嘸や喜ぶ事でございませう』          しか/゛\  『処が奉行は、云々斯様々々申されたのでござる』   いちぶしじう  と一伍一什を物語りますと、善右衛門は嘆息して。  『ヘーエ……』       うつむ  と云つて差俯首きました、其時平八郎は言葉に力を入れまして。

   


『大塩平八郎』目次/その46/その48

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