平『奉行が左様に云はれたからと云ふて、一旦思ひ立つたる窮民救恤の
うちや
事は、寸時たりとも打棄つては置かれず、と云つて微力の吾々、如何んと
も為す能はず、此際貴公を始め、此大阪に名有る町人衆より、応分の出金
をして下されば、其金を以つて餓えに苦しむ、多くの者の今日の難渋を、
救ひ遣はし度く存じ、まづ第一に貴公へ、此事をお頼み申す次第でござる
が、何と御承諾下さるまじきや、尤も其金子を只出して下されとは申さぬ、
いさゝか
誠に些少ではござるが、吾々同志の者は、組与力また同心にして二十余名、
か み く だ ふ ち ひきあて
この二十余名の者が、公儀より下賜さるゝ世禄を抵当として借用いたし度
いかゞ
く存ずるが、如何でござらうな』
おもて あら
と平八郎は面に仁義の色を呈はして陳述いたしました、善右衛門は大塩
せつ
平八郎の物語りを聞き了り、大きに其志の切にして、窮民を憐れむに篤き
おも
を感じましたが、此事は一応支配人や重なる番頭等にも其趣を話し、彼等
の意見をも聞いた上でないと即答もなし兼ねますから。
善『段々のお物語り、能く相分りましてございます、併しながら一応支
配人共とも談じますから、暫時失礼を仕ります』
の
と云つて善右衛門は其座を退きました、跡に平八郎、煙草を喫んで待つ
すみ ・・ ・・・・
て居りますと、中振袖を着まして、角前髪の鬢をくりまして、いたづらと
いふものを鳥の翼のやうに髷の後ろの左右から出した、十六七の丁稚が、
目八分に、楽焼の茶碗で抹茶を運び出します、丁稚と云つても普通の商家
な り
の丁稚とは風俗が違ひます、斯ういふ風采を為せましたのは、此鴻池と今
うち
一軒は、天王寺屋五兵衛と云ふ家と二軒に限つたもので、維新後と雖も明
ま
治二三年頃までは、未だ此姿が残つて居りました、扨て暫らくすると善右
衛門は出てまゐりました。
善『誠に失礼を仕りましてございます、早速支配人共へ、御来意の趣を
申し聞かせましたる処、異議を唱ふる者は一人もございませんが、併し私
つきあひ
共町人にはまた夫々の交際がございまして、其人々へも一応相談を仕りま
す
した上でございませんと、私一人が唯今直ぐにお受けをいたしましては、
を こ
余り専決がましいと他の町人共より、苦情を申されましても、後日に却つ
て不都合かとも存じますれば、私より天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、加
島屋その他の者へ委細の事を相談仕つり、一同の者の意見を聞き、また私
より勧めました上で、早速に何分のお返事を仕つりますれば、今日は此儘
にて御立帰り下さります様に、お願ひ申し上げまする』
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