Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その48

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十席 (2)

管理人註
   

 『奉行が左様に云はれたからと云ふて、一旦思ひ立つたる窮民救恤の          うちや 事は、寸時たりとも打棄つては置かれず、と云つて微力の吾々、如何んと も為す能はず、此際貴公を始め、此大阪に名有る町人衆より、応分の出金 をして下されば、其金を以つて餓えに苦しむ、多くの者の今日の難渋を、 救ひ遣はし度く存じ、まづ第一に貴公へ、此事をお頼み申す次第でござる が、何と御承諾下さるまじきや、尤も其金子を只出して下されとは申さぬ、   いさゝか 誠に些少ではござるが、吾々同志の者は、組与力また同心にして二十余名、            か み     く だ      ふ ち   ひきあて この二十余名の者が、公儀より下賜さるゝ世禄を抵当として借用いたし度       いかゞ く存ずるが、如何でござらうな』       おもて        あら  と平八郎は面に仁義の色を呈はして陳述いたしました、善右衛門は大塩                    せつ 平八郎の物語りを聞き了り、大きに其志の切にして、窮民を憐れむに篤き                  おも を感じましたが、此事は一応支配人や重なる番頭等にも其趣を話し、彼等 の意見をも聞いた上でないと即答もなし兼ねますから。  善『段々のお物語り、能く相分りましてございます、併しながら一応支 配人共とも談じますから、暫時失礼を仕ります』                               と云つて善右衛門は其座を退きました、跡に平八郎、煙草を喫んで待つ                 すみ     ・・    ・・・・ て居りますと、中振袖を着まして、角前髪の鬢をくりまして、いたづらと いふものを鳥の翼のやうに髷の後ろの左右から出した、十六七の丁稚が、 目八分に、楽焼の茶碗で抹茶を運び出します、丁稚と云つても普通の商家                   な り の丁稚とは風俗が違ひます、斯ういふ風采を為せましたのは、此鴻池と今               うち 一軒は、天王寺屋五兵衛と云ふ家と二軒に限つたもので、維新後と雖も明           治二三年頃までは、未だ此姿が残つて居りました、扨て暫らくすると善右 衛門は出てまゐりました。  『誠に失礼を仕りましてございます、早速支配人共へ、御来意の趣を 申し聞かせましたる処、異議を唱ふる者は一人もございませんが、併し私           つきあひ 共町人にはまた夫々の交際がございまして、其人々へも一応相談を仕りま                    した上でございませんと、私一人が唯今直ぐにお受けをいたしましては、    を こ 余り専決がましいと他の町人共より、苦情を申されましても、後日に却つ て不都合かとも存じますれば、私より天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、加 島屋その他の者へ委細の事を相談仕つり、一同の者の意見を聞き、また私 より勧めました上で、早速に何分のお返事を仕つりますれば、今日は此儘 にて御立帰り下さります様に、お願ひ申し上げまする』

   


『大塩平八郎』目次/その47/その49

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