徳兵衛は両手を突き、畳に頭を摺付けまして。
徳『旦那様、徳兵衛にございまする、主人善右衛門、罷り出づべき筈の
処、少々風邪の気味でございまして……エー此程御尊来下されましたる処、
誠に失礼を仕つりましたる段、宜しくお詫をせよと申附けましてございま
する』
平『イヤ/\、突然参つて迷惑であつたらう、其砌はまた無理な事を頼
ほか/\
んだ処が、快よく承知をして呉れたるのみか、外々へも相談をして呉れて
満足いたす、定めて今日は其返事に来て呉れたのであらうが、実は徳兵衛、
拙者に於てはモウ一日千秋の思ひをして、待つて居た処ぢや』
徳『恐れ入りましてございます、本来なれば主人善右衛門が推参仕りま
して御返事を申し上げる筈の処……其……何でございまして……』
平『イヤイヤ、善右衛門殿が来られずとも、そんな事は搆はぬが、如何
いふ都合であつたか』
徳『エー夫れが其、誠に如何も……実に早や……』
と口籠つて判然とした口上を述べ兼ねて居りますので、平八郎もコリヤ
変だと思ひながら。
いかゞ
平『お頼み致し置いたる一條は、不調であるのか、如何の次第ぢや、遠
慮には及ばぬから、判然と云はつしやい』
徳兵衛は身をブル/\と震はせながら、
ど う
徳『如何も早何とも申訳がございませんが、御依頼に相成りましたる儀
もつとも
は、至極御正理と存じまして、天王寺屋を始め、其他の者共とも相談を仕
つりました処が、何分にも差障ることがございまして、折角の儀ではござ
どうぞ
いますが、御調達を致し兼ねます……何卒此儀は悪からず、御承引下さり
ますやうに……』
からだ
と徳兵衛寒中であるのに、額も身体へもビツシヨリ汗をかいて申し述べ
うち
ました、平八郎も自分が鴻池の家へ往つて、善右衛門に面会して頼んだ時
の様子では、多分金調の出来ると思つて居た処が、余り意外の返答に、暫
らく無言で居りました。
大塩平八郎は心中に、コリヤ善右衛門の腹から出た事ではなからう、何
か深い仔細のある事だと早くも推量いたしましたから、今此処で使ひに来
た徳兵衛に向つて彼是と云つた処で仕方がないと思ひ。
つかひ
平『返事の趣は承知した、使、大儀であつた』
と云つて座を立上り、ツゝツーツと奥の方へ這入つて了ひました、徳兵
やしき
衛も手持不沙汰で、挨拶もそこ/\にして大塩の邸宅を立出で、門の外で
ホツと息きを吐き、急ぎ足で主人の家に立帰りました。
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