Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.10.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その54

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十一席 (3)

管理人註
   

 此方は平八郎、十が九つまで金が出来ると思つて居る処へ、意外にも徳     ことわり  つかひ                おのれ 兵衛が、謝絶の使者に来たので、非常に立腹をいたし、汝町人共、モウ言            たとへ          かねもち 葉を交すも穢らはしい、仮令何百万両の財産家であらうとも、我眼から見 る時は乞食非人にも劣つた奴等だ、今に見よ、思ひ知らさで置くべきかと                                しか/゛\ 憤りながら、早速庄司儀左衛門を呼寄せまして、鴻池屋善右衛門から云々 斯様斯様の口上で使ひの者が来たと云ふ事を物語りまして。  『どうも使に参つた徳兵衛の言葉の端々、また拙者が此間善右衛門に 面会せし時の様子などを考へて見ると、何か是れには仔細がなくてはなら ぬと思ふが、貴公は何と思はつしやる』  『拙者も何だか変に思はれます、一応是れは内情を探つて見ませう、         よ こ 然うすれば謝絶に寄来した事が判るでございませう』  『どうか然うして貰ひたい』  そこで庄司儀左衛門の手で探偵をして見ると、最初鴻池から廻章を以つ て、重立た処の町人を呼集め、善左衛門から五千両を出さうと云ふと、其 他の者も賛成し、異議を唱へる者はなかつた、処が其席に列して居た米屋                        ど う 平右衛門が、町奉行に一応伺つた上の事にしては如何だと、注意をしたの で、一同の者も公儀を恐れ、跡部山城守へ届け出でたる処、奉行より沙汰 なきに平八郎へ、一銭たりとも貸与へる事は宜しからずと止められたので、       ことはり 遂に鴻池から謝絶の使ひを、大塩の許へ差越したと云ふ事が判りましたの                             いよ/\ で、儀左衛門は其由を平八郎に告げました、扨こそと平八郎は 愈 跡部山 城守の処置を怨みまして、モウ此上は是非に及ばんと、茲に於て今日で云                             こら へば、社会党とでも申しませうか、予て公儀の役人等が不義を懲さんと云 ふのが表向き、其裏面から窺つて見ると、不平満々たる輩が其鬱憤を晴ら        にはか さんが為めに、俄然に平八郎は同志の者を呼集める事になりました、まづ       やしき 第一に大塩の邸宅に集まりましたのは、東組の与力でございまして、瀬田 済之助に小泉淵次郎、同じく同心の平山助次郎、渡辺良左衛門、庄司儀左 衛門、近藤梶五郎、河合郷左衛門、夫れから守口の孝右衛門、般若寺村の 忠兵衛等の九名、是れに平八郎と格之助を加へまして十一名の者が、一室 の内に集まり、其他は家内の者たりとも此一室へ立入る事を禁じ、尤も心                          利きたる召使ひの者に命じ、誰でも出て来たれば直ぐ報らせ、もし出て来                     け ふ た者が尋ねたらば、講義をして居るから、今日は面会が出来ぬと云つて帰 すのだと申し附け、平八郎は奥の一室に入来り。    おの/\                    さぞ  『各 御苦労でござつた、最早年内も僅かになり、嘸何かと多忙な事       おの/\がた でござらうが 各 方は予て此平八郎とは、水魚の交はりであるから、何事 も心置きなくお談じ申さうと思つて、今日斯うしてお呼寄せしたのぢや、       おほやけ              わたくし こら           いよ/\ 夫れは仁義の 公 を以つて、不義の 私 を懲さんが為めでござるが、愈          おの/\ 其機近きにあれば、各 に於て変心なき事、今更申すまでもないが、此際                                 こし 各には同志と認むる者には勧誘をして貰ひたい、就ては此処に連判状を設            おの/\           らへて置いたから、まづ 各 から署名して、血判を捺して貰ひたい』

   


『大塩平八郎』目次/その53/その55

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