ふところ
平八郎は懐中から連判状を取出した、尤も此座に居合す者は、素より此
しばゐ
位の事は承知して居りますが、併し実際連判状と云ふものは、演劇か何か
で見る計りで、自分が血判をするなどゝ云ふ事は始めであるから、何とな
く気も改まりまして、署名するさへ手が震ふやうでございます、中にも血
気盛りの小泉淵次郎や瀬田済之助は刀の小柄を以つて指を割き、其血を姓
いよ/\
名の下に押し付けますと、一同も署名血判を致しましたので、平八郎も愈
安堵して。
おの/\
平『各々には、一人たりとも同志の者あらば御勧誘を願ひたい、斯かる
際でごさるから』
一同『委細承知仕りました』
と是れから尚ほ平八郎は己れの胸中を打明けました。
めい/\
そこで其日集まつた人々は、相談の上、各自手を分けて、一味の者を募
集する事になりましたので、其後に加はつたのが吹田村の宮脇志摩、此宮
ま へ
脇は前席にも申し上げました通り、平八郎とは親戚の間ネでございます、
夫れから竹上万太郎も大塩平八郎は師匠なり大恩人でございますから、一
も二もなく徒党に加はりました、玉造口の与力で大井正一郎、白井儀次郎、
深尾才次郎、茨田郡治、高橋九右衛門、柏岡源右衛門、同じく伝七、西村
利三郎。上田孝太郎、此等は河内また近郡の百姓の子弟を、木村司馬之助
は無論連判に加はり、また連判に加へずして、味方として追々手なづけた
のち
者は沢山ございます、其後尚ほも有志の者等は、年末にも係はらず大塩の
やしき いろ/\
邸宅に集つて、種々協議をして居りましたが、何事もまづ一夜明けてから
あく
の事と云ふので、大晦日の日には各自我家へ引取りました、明れば天保八
ひのととり
年二丁酉の正月の事、このお正月と云ふものは、何となく陽気なものでご
ざいますが、今年の正月ばかりは実に哀れなもので、唯の一軒も快よく雑
煮餅を祝つた家もない位、夫れゆえに廻礼をする者も例年に比べると尠な
い、と云ふのはお互ひの挨拶にも。
いろ/\
『まづ明けましてお目出度う、昨年は種々と、何卒今年も相変らず』
とは云はれません、食ふに困つて居て、お目出度い事は少しもありませ
こ てう
ん、夫れに斯んな事が相変らずでは堪りません……恰ど正月の三日の事で
ございます、大塩の邸宅へ出て来たのは、日頃平八郎とは別懇にして居り
ほ ん や
ます、心斎橋筋の書籍商でございまして、河内屋喜兵衛と云ふ男。
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