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てう ひ る ぼく つ やしき おとな
恰ど此十七日の正午過ぎ、一僕を供れて大塩の邸宅へ訪ひ来たりましたの
は、江州彦根の城主、井伊掃部頭の家臣で、当時家老の職を勤めて居りま
ほ ん
す、宇都木下総の二男矩之允……此矩之允を敬治だと書いた書冊もござい
ますが、全く敬治ではございません、其矩之允と云ふのは、後素先生の門
人でございまして、一時は寄宿生となつて教授を受けて居りましたが、病
気の為めに一旦郷里へ帰り、近頃はまた中国から九州路を漫遊をして居り
ましたが、今回帰国をするに就いて、久々で大阪に立寄つたのでございま
す。
矩『御免下さい』
と案内を乞ひますと、曾我岩蔵が立出でまして。
岩『オゝ宇都木様でございますか』
矩『是れは岩蔵殿、先生は御在宅かな』
岩『ヘイ、御在宅でございます』
さは
矩『皆様にもお障りはござらぬか』
どうぞ
岩『皆様お変りはございません、何卒お通り下さいまし』
あが
矩之允は、連れて来た良之進を勝手の方へ廻らせ、玄関から昇つて見る
と、何だか大勢客人でもある様子。
矩『岩蔵殿、大分大勢お客があるやうぢやが……』
なじみ
岩『ナニ、皆なお馴染の御門人達ばかりでございます……併し一寸貴下
こ れ
がお越しになつた事を、先生に然う申聞し上げますから、少々此室にお控
へ下さいまし』
ひとま
矩之允は一室に待たせて置いて、岩蔵は、主人の傍へ参り。
岩『彦根の宇都木様が入らつしやいましてございます』
けうほ
平『ナニ、共甫殿が来られたか』
共甫と云ふのは、宇都木矩之允の号でございます。
あちら
岩『彼方にお待たせ申して置きました』
居合した人々は、宇都木が来たと聞いて。
はから たまもの
△『先生、今日慮ずも宇都木が当家へ来たのはコリヤ全く天の賜物とで
も申すもの』
い か ばんそつ
○『如何にも、万卒は獲易けれども、一将は得難しと申す通り、宇都木
氏などは実に得難き一将でござる』
大井正一郎は膝を進めまして。
正『我れ/\同志の為めには千人力……早く説いて味方に加へやうでは
ござらぬか、先生とても此儀に就いては、御異存はございますまい』
平八郎に於いても、此矩之允が、有為の人物であると云ふ事は、予てよ
り知つて居りますから。
こ ゝ
平『岩羅、共甫を此室へ』
岩『畏まりましてございます』
あいさつ
と是れから矩之允を奥の間へ通し、一別以来の口誼が済みますと、まづ
さき
平八郎が口を切りまして、居合す人々と共に今回の挙を語り、平八郎は曩
かたへ
に同志の人々が血判をした、連判状を取出して傍に置き。
平『暫く逢はぬがどうぢやな、モウ病気はすつかり全快したやうぢやな』
矩『ハイお蔭でモウ無病息災の身と相成りました、九州の方から今日川
口へ着船いたしましたので、懐かしさの余り、取敢ず御伺ひ申しましたが、
見受ける処、大勢の御門下がお集まりでございますが、何かお催しでござ
いますか』
うち
平『夫れに就いて矩之允、貴公と我等は師弟の中でも格別の間ネ、仮令
幾年逢はずに居つても心に変りはござるまいな』
と仔細あり気なる師匠の言葉に、矩之允。
矩『是れは先生のお言葉とも覚えませぬ、拙者に於ては少しも隔意はご
のち
ざいません、御差支がなくば、一旦帰国の後、また当地に下り、前年の如
く御厄介に相成りたき考へでございますが、唯今の御言葉と云ひ、何か斯
うお取込みの事でも……』
かは あか
平『イヤ貴公の心底を確め、以前も今も異らぬとの事なれば、打明して
話す事がある、まづ此連判状へ記名して、血判をして貰ひたい』
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その113
宇津木
が正しい
森 繁夫
「宇津木静区と
九霞楼」
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