Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.11.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その71

香川蓬洲

精華堂書店 1912

◇禁転載◇

第十四席 (3)

管理人註
   

てう           ひ る        ぼく  つ         やしき  おとな 恰ど此十七日の正午過ぎ、一僕を供れて大塩の邸宅へ訪ひ来たりましたの は、江州彦根の城主、井伊掃部頭の家臣で、当時家老の職を勤めて居りま                             ほ ん す、宇都木下総の二男矩之允……此矩之允を敬治だと書いた書冊もござい ますが、全く敬治ではございません、其矩之允と云ふのは、後素先生の門 人でございまして、一時は寄宿生となつて教授を受けて居りましたが、病 気の為めに一旦郷里へ帰り、近頃はまた中国から九州路を漫遊をして居り ましたが、今回帰国をするに就いて、久々で大阪に立寄つたのでございま す。  『御免下さい』  と案内を乞ひますと、曾我岩蔵が立出でまして。  『オゝ宇都木様でございますか』  『是れは岩蔵殿、先生は御在宅かな』  『ヘイ、御在宅でございます』         さは  『皆様にもお障りはござらぬか』                 どうぞ  『皆様お変りはございません、何卒お通り下さいまし』                             あが  矩之允は、連れて来た良之進を勝手の方へ廻らせ、玄関から昇つて見る と、何だか大勢客人でもある様子。  『岩蔵殿、大分大勢お客があるやうぢやが……』          なじみ  『ナニ、皆なお馴染の御門人達ばかりでございます……併し一寸貴下                              こ れ がお越しになつた事を、先生に然う申聞し上げますから、少々此室にお控 へ下さいまし』      ひとま  矩之允は一室に待たせて置いて、岩蔵は、主人の傍へ参り。  『彦根の宇都木様が入らつしやいましてございます』       けうほ  『ナニ、共甫殿が来られたか』  共甫と云ふのは、宇都木矩之允の号でございます。    あちら  『彼方にお待たせ申して置きました』  居合した人々は、宇都木が来たと聞いて。         はから                    たまもの  『先生、今日慮ずも宇都木が当家へ来たのはコリヤ全く天の賜物とで も申すもの』     い か      ばんそつ  『如何にも、万卒は獲易けれども、一将は得難しと申す通り、宇都木 氏などは実に得難き一将でござる』  大井正一郎は膝を進めまして。  『我れ/\同志の為めには千人力……早く説いて味方に加へやうでは ござらぬか、先生とても此儀に就いては、御異存はございますまい』  平八郎に於いても、此矩之允が、有為の人物であると云ふ事は、予てよ り知つて居りますから。           こ ゝ  『岩羅、共甫を此室へ』  『畏まりましてございます』                       あいさつ  と是れから矩之允を奥の間へ通し、一別以来の口誼が済みますと、まづ                                 さき 平八郎が口を切りまして、居合す人々と共に今回の挙を語り、平八郎は曩                      かたへ に同志の人々が血判をした、連判状を取出して傍に置き。  『暫く逢はぬがどうぢやな、モウ病気はすつかり全快したやうぢやな』  『ハイお蔭でモウ無病息災の身と相成りました、九州の方から今日川 口へ着船いたしましたので、懐かしさの余り、取敢ず御伺ひ申しましたが、 見受ける処、大勢の御門下がお集まりでございますが、何かお催しでござ いますか』                       うち  『夫れに就いて矩之允、貴公と我等は師弟の中でも格別の間ネ、仮令 幾年逢はずに居つても心に変りはござるまいな』  と仔細あり気なる師匠の言葉に、矩之允。  『是れは先生のお言葉とも覚えませぬ、拙者に於ては少しも隔意はご                    のち ざいません、御差支がなくば、一旦帰国の後、また当地に下り、前年の如 く御厄介に相成りたき考へでございますが、唯今の御言葉と云ひ、何か斯 うお取込みの事でも……』                    かは          あか  『イヤ貴公の心底を確め、以前も今も異らぬとの事なれば、打明して 話す事がある、まづ此連判状へ記名して、血判をして貰ひたい』



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その113木
が正しい

森 繁夫
「宇津木静区と
九霞楼
 


『大塩平八郎』目次/その70/その72

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