やしき ひとま
お話し変つて大塩平八郎の邸宅では、奥の一室へ徒党の人々集つて評定
の真最中でございます、処へ格之助が入つて来たのを見て平八郎は。
いよ/\ かね
平『格之助、愈 事を挙ぐるに決したに就て、予て其方に書かせて置いた
アノ軍則を、此処に居らるゝ人々に読み聞かせるが宜い』
かしこ
格『ハア畏まりました』
と格之助は座を立つて行きましたが、間もなく一通の書附を携へ来たつて、
一同に向ひ。
格『父平八郎が今度の企てに就いて、作戦は隊を三軍に分ち、斯くの通り
人員を定めましたから、此段、御承知下されたい』
かたち
と云ひながら、容を正しまして。
格『第一軍、即ち先手として大将大塩格之助、大井正一郎、庄司儀左衛門、
なかそな
是れには木箇一挺、大筒二挺、従ふ者は約一百人、第二軍……中備へとして
大将大塩平八郎、渡辺良左衛門、宮脇志摩、近藤梶五郎、白井幸右衛門、橋
本忠兵衛、茨田郡次、深尾次平、安田図書、植田孝太郎を大将分とし、杉山
三平、西村利三郎、高橋九右衛門柏岡伝七、同じく源右衛門、志村周次、堀
井儀三郎、木村司馬之助、阿部長助、曾我岩蔵、松本隣太夫等は是れに属し
うち
て、木筒一挺、但此中備への中より、機に臨んでは後陣に加はるべし、尤も
ひき
是れにも五十名の者を率ゆ、第三軍、即ち後軍としては、瀬田済之助を将と
して、小泉淵次郎、平山助次郎を副将と定め、竹上万太郎、横山文哉、服部
亮一、馬淵丑五郎、猪飼伝八郎、其他二百人、木筒一挺、また鉄砲支配役と
して猟師金助を召連れる事』
と読み了りますと、平八郎は。
平『今格之助が読み上げたる処のものは、今より数日前に認めさせたもの
ま
でござるから、其後に同意せられた諸氏は未だ記名してはござらぬ、いづれ
したゝ を おの/\
今夜中に取調べて、更に認めさせる筈で居る、また人数は 各 も御承知であ
かすがえ
らうが、滓上江村、般若寺村、北寺方村、尊延寺村、守口町からは必ず馳せ
加はる事になつて居る、其外に泉州、また河内などからも来るには相違ない、
さ
然すれば一千騎位にはなると思ふ、ナニ夫れが俗に云ふ枯木も山の賑ひで、
うち
人数さへ多ければ勝を制し得る事は、吾方寸の中にある、また夫れに予て手
馴付けて置いた、渡辺村の者も来るに違ひない、彼等は必死の働きをするか
おの/\
ら、一騎が十騎にも当るであらうと思ふ、各 にまだ見せ置く品がある』
しま
と平八郎は立つて床の間の横なる、地袋戸棚の中から、巻いたまゝ収つて
ありました大旗小旗、幟などを取出し。
平『各是れを御覧あれ』
はゞ まんなか
とサツと押開いたのは、白木綿を三巾継ぎ合して、中央には天照皇大神、
いだ
左右にに湯武両聖主、東照大権現と墨を以て染め出せしもの、其他に救民と
染めたるもの数流と、大塩の家の定紋、五三の桐と二ツ引の旗数流でござい
ます、また其外にも幟が沢山ありましたが、是れには加勢に来る近郷村々の
村名を染めたものでございます、此旗幟の類はいづれも靭油掛町、美吉屋事、
通名更紗屋五郎兵衛方で、秘密にこしらへたもので、此五郎兵衛の妻お常と
あ ね
云ふのは、大塩平八郎の妾でございました、おゆうの義姉で、其縁故から平
まじはり
八郎と五郎兵衛は、親しき交際をして居ります、夫れが為め、此五郎兵衛の
手で、提灯だの其他、今度の計画に就ての必要品を買入れ密かに大塩の屋敷
へ運んで居たのでございます、今日大塩平八郎の屋敷に集まつたる処の一味
やから けんぶん
の輩は、此有様を見聞いたして、何れも勇み立、尚ほ様々に軍議を凝らして、
其夜の中に帰宅する者もありましたが、大抵は大塩の屋敷で夜を明かしまし
た、前夜は大雨が降りましたが、十七日の朝は快晴となりましたので、一味
めい/\
の人々も夫々心づもりがございますから、各自が家に立帰りました、
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