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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第14号』


1998.6.22

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目  次

第107回例会報告 
はじめに
(22)堀家来ヨリノ書

○代官・山本大膳について 
○鈴木白藤と『塩逆述』 
○大塩の乱テーマの2作が受賞
○三田村鳶魚の大塩平八郎評
○新刊情報 『泉大津市史  第1巻  下  本文編2』、『大塩平八郎起つ』

第107回例会報告

はじめに

 第107回例会(『塩逆述』からは第40回)は5月18日に開催し、15人が参加し、22丁から26丁まで進んだ。  最初に前回に関する史料提供があった。泉谷さんからは「玉割表」(所荘吉『図解古銃事典』)、Nさんからは「徒党札案文」(大阪人権博物館『高札』)、大坂北久太房河内屋書状」(『編年百姓一揆史料集成第十四巻』)、 「四カ所と長吏(宮本又次『大阪の研究』)の3点であった。また、会報第13号は、ワ−プロ故障のため、発行が遅れることになった。

(22)堀家来ヨリノ書

 以前にも堀伊賀守の家来の書簡が収録されていたが、その内容は風聞ではなく、実体験に基づいた報告なので、具体的事柄が細部にわたり記載されていた。この史料も同様で、平山助次郎の密訴から出動までの西町奉行所の動向を詳しく述べている。そのあたりを表にすると、以下の通りである。
  
日 時 事 項
2月
17日
平山助次郎出奔
18日跡部山城守が堀伊賀守へ平山の密訴を談す
吉田勝右衛門を呼ぶ
四時再度呼ぶ
19日 吉見英太郎・河合八十次郎が西町奉行所へ出訴。
家老中泉撰司が応対。
松本嘉藤太・吉田勝右衛門を呼び、堀・中泉・松本・吉田の4人で二人を聴取。堀、吉田に召捕りを命じ、松本を跡部山城守へ遣わす。「夕刻召捕」を決め、松本帰る。勝右衛門へ集合すれど、東町奉行から一人も姿見せず手筈相違する。

 東町奉行から一人も来なかったのはそのころ瀬田済之助と小泉淵次郎の召捕りが行われていたかもしれない。  「賊方火術之棟梁を打留」と、坂本鉉之助と間違われた人物の「土岐熊次」は、大野さんから指摘があったように「熊次郎」のことで、実在の人物であろう。
 また、犬塚太郎左衛門は、『大塩平八郎一件書留』に「大坂御目付在勤中に付捕方并消防方とも町奉行等申談、万端差配いたし、御城内外見廻り骨折候由ニ有之」と記されている。

 なお、この日、向江先生から自書に対する批判について紹介されたことから、議論が伯仲し、大塩自身は賄賂を受けなかったのかから、大塩家の家計はどうだったのか、さらには内妻のゆうとはどうして知り合ったのか、といった疑問が百出し、いつにない熱気のある議論の場になった。

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代官・山本大膳について

 「会報8」で書かれている巻4(24)「山本大膳役所ヨリ書」の山本大膳について少し調べてみました。 『柳営補任』(大日本近世史料 東京大学出版会 1997 覆刻)の、「御代官」の中に名があがっています。天保13年5月に「二丸御留守居」になっています。ほかの代官関係の史料には名が見つけられませんでしたが、いつからかも不明です。乱の起こった天保8年のとき「代官」だったと考えるのには一番適当な人と思います。

 また、茨城県の史料に「山本大膳」の名が見えるので、関東地方が支配地だった代官という可能性が高いようです。江戸に住んでいて、支配を他の者にまかせていたのか、支配地は具体的にどこか、これについてはまだわかりません。『寛政譜以降旗本家百科事典 5』(小川恭一編著東洋書林1998)では『柳営補任』からの記載がないですが、250俵、居屋敷は四谷喰違外、拝領屋敷は小日向切支丹坂上。ここでは、代官になったということは書いていませんので、別人かもしれません。

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鈴木白藤と『塩逆述』

「論文集」に「鈴木白藤と『塩逆述』」として掲載

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【刊行情報】

○『泉大津市史 第1巻 下 本文編2』泉大津市史編さん委員会編 泉大津市 1998.3 これは近世を含むもので、短いですが、大塩の乱について触れています。 福島雅蔵氏執筆文ですが、乱によって、村々に触書が回されたことを中心に、幕府に与えた強い衝撃を強調したものになっています。

○『大塩平八郎起つ』菊池道人 廣済堂文庫 1998.6

 これは、書き下ろし長編歴史小説でなぜ平八郎はたちあげったかを「建議書」を中心にすえた本格的な歴史小説で、なかなか読みごたえのある作品である。ただ著者自身もあとがきで述べているように、「正伝」ではなく、いくらか虚構も交えているということなので、描かれたすべてを史実を受け取れないので注意が必要である。

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大塩の乱テーマの2作が受賞

 パソコン通信からの情報で、新人物往来社主催の「歴史文学賞」の最新の受賞作のことを知りました。大塩の乱のことを書いているというので読んでみました。

松原誠氏の「天命を奉じ 天討致し候」(第22回歴史文学賞佳作)は、乱そのものを美吉屋五郎兵衛の視点から描いています。みなさまご承知のように、昨年「終焉の地碑」を建てたあの美吉屋です。幕府の厳しい探索を逃れて大塩父子が1月以上潜んでいたところです。手配書の出ている大塩を匿った美吉屋一家の苦悩を事件の背景などをふまえて書いたものです。これは『時代小説大全』別冊歴史読本 98 春号 新人物往来社 1998.3 に収録されています。

もうひとつは、間万里子氏の「天保の雪」です。『歴史読本2月号』新人物往来社 1998.3 に収録されています。こちらは、これも乱の発生したとき大坂城代であった土井利位が中心でが、大塩の乱は一部分で触れられているだけです。タイトルからもわかるように『雪華図説』を著わした古河藩主・土井利位とその家老・鷹見泉石が中心の小説です。

実は選者の評がでているだろうと思って、松原氏に対するものを読んでみたかったのですが、2月号を見ると受賞作・佳作2作ともに大塩の乱がとりあげられていたのです。大塩の乱関係のものが受賞を争ったということで、ちょうど書かれたのが昨年乱160年の年にあたるでしょうから、意識して書かれたのかもしれません。そのあたり、作者と連絡を取れればうかがいたいところです。

2作ともほぼ史実に忠実に大塩の乱を取り上げていますので、みなさま、機会があれば読んで見てください。選者の早乙女貢氏も「「大塩」を描いて優劣を争う」としています。「さらに大塩平八郎が重要な形で出てくる二本が、最後に賞を争うことになったのは、偶然とはいえ面白い符合だ」と書かれています。今回の最終候補5作のうち3作が天保を時代背景にしているようです。同じく選者の尾崎秀樹氏は「現代の世相と対応するものが、作者たちの選択に働いているのかもしれない」とこの偶然を説明されています。

 受賞作・佳作の作者はともに東京の方です。これまでこの賞を受賞した方々は、時代小説作家として活躍されています。今回の選考委員は、早乙女氏、尾崎秀樹氏、津本陽氏、杉浦明平氏です。作者おふたりは、昨年の大塩の乱160年にあたっての大阪での建碑活動とかもご存知ないでしょうが、大塩のような腐敗に抵抗した人物は、特異な存在として惹かれるものがあったのでしょうか。

ここまで書いてから、松原氏と連絡がとれました。全面的に書き直しを予定されているようで、新しいタイトルもおききしました。それは………。松原氏がこの会報に原稿を寄せてくださるということで、お楽しみに。この小説を書くきっかけなども書いていただけると思います。また『時代小説大全』別冊歴史読本 98 夏号におふたりが受賞後第一作を発表されています。

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三田村鳶魚の大塩平八郎評

 三田村鳶魚。明治・大正期の随筆家「元禄快挙別禄」「江戸の珍物」「御殿女中」など江戸時代の文化・風俗研究を多数発表し、「江戸趣味」「江戸読本」を創刊。(『日本史広辞典』)「未遂既遂の米騒動」の一節に「大 塩平八郎の余党」として、大塩事件に関する評価をしている。『お江戸の話』(大正13年6月刊)に所収、のち『三田村鳶魚全集』第6巻に収録され、平成10年『鳶魚江戸文庫18札差』として中公文庫から出版された。 (和)

『お江戸の話』より


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