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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第16号』


1998.8.24

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目  次
第109回例会報告 
 はじめに
(19)大坂両町奉行届
(20)大坂町触
(21)町奉行達書
(22)風聞名前
(23)晃氏書畧文

○歴史セミナー・大塩平八郎を学ぶ 第3回 案内
○「大塩平八郎の魅力」 松原誠 

第109回例会報告 はじめに

 第109回例会(『塩逆述』からは第42回)は7月27日に開催し、17人が参加し、34丁から39丁まで進んだ。

(19)大坂両町奉行届

 これは、大坂町奉行跡目山城守と堀伊賀守が、19日の大火について、大坂城代に出した報告書である。差出人の名前しか記載されていないが、文中に「猶又御手前様御人数御加被成、御城近辺警固仕候ニ付」とあり、町奉行配下の者だけでは治まらず、加勢いただいと述べているところから判断できる。
「廉立候品ハ為取上」とある「廉立」の意味については、宿題となった。
また別に、もうひとつ山城守だけの報告書がある。これは、平八郎に加担した小泉渕次郎を打ち果たし、瀬田済之助を取り逃がしたことを遅ればせながら報告したものである。ただ、この日付けが「三月廿三日」になっており、原文通りなのか、筆写間違いで「二月」ではないか、議論になった。どちらが正しいかは結論はでなかった。

(20)大坂町触

 謀反を起こした大塩一党の主な面々は召し捕りあるいは自殺したので、商売は勿論、来月の雛祭りも懸念なく例年通り祝うようにとの口達である。

(21)町奉行達書

 「田井中村畑中ニ而自殺致候者有之」の文中、「畑中」は一般名詞の「畑の中」という意味ではなく、田井中村の小字であるという指摘が、地元八尾の一瀬さんからあった。渡辺良左衛門の死に場所が特定できる興味深い指摘だったので、地形図や小字図を捜したが、まだ見つけることができていない。

(22)風聞名前

 風聞として知った大塩一党の名前が記されている。いつの時点での情報かがはっきりしないので評価しがたいが、細部に間違いが見受けられるものの、おおむね正確な情報が流れていたようである。

 なお、大西善之進は、平八郎実母の兄で、乱の時町奉行跡部山城守から特別の使命を蒙ったが、卑法の振舞いがあったため、後に遠島に処せられた、と幸田成友は紹介している。

(23)晃氏書畧文

 この史料は、晃氏の知り合いである新次郎が檄文の刷師を紹介したため、町預けになって気の毒であるという内容のものである。「彫刻者は北久太郎町五丁目の版木師次郎兵衛で、(中略)、彫刻出来の後平八郎は、英太郎、八十次郎両人に命じ、夜中にこれを摺らしめた。」(幸田成友『大塩平八郎』)とい われているので、従来の説とは異なる。あるいは檄文ではなく、施行引替札の印刷も請け負っているので、こちらの方の印刷かもしれない。

 巻五も終わりに近づいてきたので、巻六のテキスト及び釈文の準備をしなければならなくなった。ただし、巻五まで釈文を提供いただいていた野市氏から巻六以降の提供を請けられくなったので、釈文については分担を決め会員有志で取りかかることになった。巻六の上は、既に和田がとりかかっているので、 後半部分のワープロ入力を一瀬さんに依頼することにした。また巻六の下については27日当日テキストが配付されたので、何人かに手分けして釈文の作成に取りかかることになった。

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  歴史セミナー・大塩平八郎を学ぶ 第3回 
    
  とき9月12日(土)午後2時〜4時  
  ところ  大阪府教育会館 
      大阪市天王寺区東高津町7-11  
      近鉄上本町駅 地下鉄谷九駅  
  テーマ 「救民への歩み」 
  こうし  政野敦子氏
  参加費  1000円  
                  大塩事件研究会  
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「大塩平八郎の魅力」 松原誠

  (「論文集」に「大塩平八郎の魅力 」として収録)


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