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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第4号』


1997.6.23

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目  次
第28回例会報告 
はじめに
(11)三井等ノ書
(12)二月廿二日飛脚
(13)横山良助ノ書

○「大坂の書と画と本一関西大学図書館所蔵」展
○「幕末豪商の所在地調査」
○資料・被災地域

第28回例会報告

はじめに

 第28回例会は5月26日に開催、17人が参加し、21丁から28丁まで進んだ。また、前回に焼き、荻野準造さんから「幕末豪商の所在地調査」及び「付表大塩焼図」が提出されたので、本号で掲載する。なお、紙面の都合でその際A3判からB4判に縮小した。

(11)三井等の書

 この史料は、いわゆる「大塩焼け」といわれる被災地域の概要が記されている。

 その中で、興味深いエピソードが紹介介されている。大坂町奉行の門に「大坂よりきしやうにむほんにんあり」という札が何ものかによって張り出された。何のことかわからず、中には「紀 州より出て大業をなした」真田昌幸・幸村の故事を引き合いに、熊野・和歌山方面を密かに探素したものもあったが、結局詳細をつかむことができなかった。ところが、大塩の乱の勃発で、「よりきしやう」は「与カ衆」の隠し言葉で、先の札は「大坂与力衆に謀反人あり」と解すべきであるとわかったが、事件が起こってからわかっても後の祭りだ、と大坂では評判になったという。  札が張り出されたのが史実であったか詳らかにしないが、事実でなかったとしても、このような話が誠しやかに語られていたとしたら、それは大坂町奉行所の頓馬さ加減にあきれかえっていた大坂町人の心情を窺わせるエピソドになるだろう。

 なお、原文中の「高野山曲突山」が初め読めなかったのが、真田昌幸・幸村の隠遠地「九度山(くどやま)」の当て字ではないかとの指摘がなされ、全員が納得した。

その後、大塩焼けの公式な被害状況を記した資料はないか調べていたら、「米商旧記」(『大阪経済史料集成』第4巻)に収録されていたので参考に掲載する。(資料1)

(12)二月廿二日飛脚

国立国会図書館版では、「二月廿二日立飛脚廿九日着」の小見出しが記載されている。大坂から江戸への届けと思われるが、差出人及び宛所は不明である。内容の面で特に問題点はなかった。

(13)横山良助ノ書

この史料は6丁に及ぷ長文の書簡で6月例会では、時間切れのため半ばまでしか進めなかった。


○「大坂の書と画と本一関西大学図書館所蔵」展

「大坂の書と画と本一関西大学図書館所蔵」展が5月30日から6月11日までもりぐち京阪で開催された。大塩平八郎『洗心洞箚記』、大塩書簡(足代弘訓宛)、『浪華騒動見聞記』の三点が出展されていた。
大塩の書簡の読み下し文はまたの機会にして、展示場での解説文を書き写してきたので紹介する。


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