伊予守 主君義元公の英雄と某が、軍法を以て六十余州を掌底に握らんと
参州路迄攻登り、桶狭間に陣を取り、織田信長の小勢如きと侮りし
が大事の元、不意を討れて主従討死、其魂魄、未だ去らず、何卒旗
揚げして、主人の無念を晴さんと思へども、勝時丸の短刀、摂津の
城に籠めあれば、中々立寄る事叶はず、何卒汝旗揚致し、主父の修
羅の妄執を晴らさせよ、
吉五郎 ハアヽ畏り奉る、只今より味方を集め手立を以て勝時丸をば取返
し、追附旗揚げ仕り、今川の世に翻へさん、お心安かれ、親人様
伊予守 ホヽウいじくも申せし汝が詞、此上は系図の一巻、九條の里、十
作の妻こそ其方が姉なれば、名乗り合ふて受取るべし、
吉五郎 スリヤ系図の一巻は、九條の姉が所持するとや、不日に尋ね、受
取り申さん、
伊予守 此上は其方が肌肉に分け入り、大望成就の助力せん、左らば/\
〔ト 大どろ/\になり、吉五郎悶絶すると、伊予守消る、仁助、納戸
より出て
仁 助 扨は吉五郎めは、今川家の余類よな、くゝつて、役所へ連て往た
ら、褒美の金、日頃の敵、ヲヽさうじや
〔ト 吉五郎にうゝる、又どろ/\になり、すっくと起て、一寸立廻り
あつて、仁助を見事な投げる、上手障子を明け
貢 ヲヽ忰、委細の様子は聞升た、今こそ渡す父御の魂ひ
〔ト 大小を差出す
吉五郎 ハアヽ有難き父の魂ひ、お譲り下さる上からは、追附け父の苗字
を受継き、伊藤伊賀之助と名乗るべし、気使ひあるな母人様
貢 ヲヽ頼母しい/\、イデ此上は母が餞別
〔ト 懐剣を咽へ突立る
吉五郎 ヤヽ何故の此自害
貢 大望の企に此母は足手纏ひ、其方の本心見る上は、心の残る様は
ない、追附け花々しい旗揚げを草葉の蔭で見物仕升る
吉五郎 アヽ是非もない、母の最期、此上は一本立、心の儘に味方を集め、
追附け旗揚げを仕らん
貢 ヲヽ○早左らば
吉五郎 お左らば
〔ト 仁助起きて
仁 助 吉五郎、うぬ
〔ト 一寸立廻りあつて、仁助を抜打に切る、貢落入る、此とたんにて
宜しく幕
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