Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.8

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「矢 部 駿 州」 その23

川崎紫山 (1864−1943)

『幕末の三俊』 春陽堂 1897 より


禁転載

適宜改行しています。


      第廿三 人物

活手活腕
の伎倆、



機智敏妙
手腕霊活


駿州は、政治家として、大眼識と大手腕とを欠けり。固より八面玲瓏の才にはあらず。然れども、或る点に於て、活手活腕の伎倆を具せる人物たるは、何人たりとも認識する所なるべし。

当時、駿州と同時に、能吏の聞えありしものは、川路聖謨。筒井政憲。岡本成。遠山景元等を最とす。

川路は、駿州に比すれば、【糸眞】密なり。然れども、其機敏足らず。

筒井は、駿州に比すれば、老練なり。然れども其壊断に乏し。

岡本は、駿州に比すれば、正確なり。然れども其権略を欠く。

遠山は駿州に比すれば、精細なり。然れども其練腕無し。葢し其能く社会の潮流を察し、人心の幾微を穿ち、機智敏妙、手腕霊活。謀畧滾滾として湧くが如く、明断果決、発して当らざるなき、是れ、駿州の独檀場にして、他人の及ぶ所にあらず。

駿州は、町奉行としては、聡敏なる民政長官たり。公明なる司直官たり。森厳なる警視長官たり。勘定奉行としては、精確なる大蔵大臣たり。敏利なる理財家たり。活腕なる行政官たり。而かも、堂堂廟堂を総理し、百政を統紀するに至ては、其器にあらず。

駿州と、水野とは、其才気伎倆、相敵し、其活手辣腕、相敵し、其果断明智、相敵し、而かも其肝胆相激射せり。故に水野は駿州を包容すること能はず。駿州も亦水野を籠葢すること能はざりき。彼、我を排せずば、我、彼を排せざるを得ず
、駿州終に是を以て失敗を見る。固より其所なるのみ。

 
度量甚た
宏ならず

吾人は、駿州の、末路憂憤自ら禁すること能はず。餓死して然して後、已むに至るを見。其度量の甚た宏ならざるを惜まざるを得ず。

彼の幼時に就て、一の逸話あり。

    『駿州、水野若州と親善なりしが、其父の執なりしを以て、特に敬礼を加られぬ。一日、水野、駿州に向ひ、之に謂て曰く『足下、才気英発余ありと雖、惜むらくは、忍の一字を欠く。若し其侭に意を留めざれば、良有司たること能はざらん。宜しく古人に倣ひ、毎日、忍の 一字を書すること、百度以て自ら誡とせられよ』と。

    駿州、其言を服膺し、一二日は、教の如く必ず忍の字百余を書して在りしに、忽ち又以為らく『毎日百忍字を書して徒に光陰を費さんよりは、寧ろ、一の忍字を書して、之を扁額に掲け、朝夕に観て以て誡と為すの簡易にして且つ便利なるに若かずと。乃ち其言を以て水野に語りしに、水野眉を顰めて曰く『足下果して忍の一字に歉さること、吾か観る所に違はず、毎日一の忍字をば、百たび書するは、即ち忍の字を実行するの義なり。然るに、之に堪ゆること能はずして、之を扁額に掲げ、自ら便利とせらるゝは、取理も直さず、忍ぶこと能はざるを表する所なり』と
 


一世の政
治家

駿州が、政治家としての度量に乏かりしは、天成的の欠点にして、彼は、終に之を以て奇禍に罹りし也。

然れども、機畧湧くが如き処。峭峻鬼の如き処。鋭利を撻つか如き処。聡明神の如き処。而かも、長身【瞿】貌、炯眼電の如く、雄弁泉の如く、稜稜たる奇気、人を襲ふ処。彼が一世の政治家として、畏るべく、驚くべき資格を有したるものに非ずや


 
 


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