Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.1

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「矢 部 駿 州」 その22

川崎紫山 (1864−1943)

『幕末の三俊』 春陽堂 1897 より


禁転載

適宜改行しています。


      第廿二 性行

雲中の仙
鶴

駿州の生涯は、終始、簿書、裁判、理財、警察の俗務に奔走せりと雖、其品性を見れば、光明純潔、恰も雲中の仙鶴の如し。彼の身は俗吏たりしに係らず。決して俗流の士にはあらず。彼の骨は、実に武士の遺影を存したりき。

 
音吐遠鐘
の如し

余、曾て之を幕末の遺老に聴く。

駿州、長身【瞿】骨、神気清聳、眼光烱烱として人を射る、其人と語るや、音吐洪朗にして、遠鐘の如く、飛談雄弁、当るべからず。吻端時々鈎曲するを観る。而して精悍俊爽の気、自ら眉宇の間に溢れ、人、一見して、其聡明に服すと云ふ。

彼の素行は、極めて清廉にして、其家庭は純潔なりき。而かも文雅風流の才に乏しと雖、衣服は清楚を好み、袴襞整然、常に新に裁するものゝ如く、また坐隅に列する机案筐笥の類と雖、一々意匠を経て、好 事に製作せしにあらざる者無き、其人と為り如何を見るべし。


彼の邸宅籍没せらるゝや、彼は嫺雅従容、毫も狼狽せざりき。茲に一の逸話あり。

    駿州、罪を獲るの前日、固く其妻を誡め、徒に啼哭して、醜態を露出すること勿れと命じ、妻も亦能く其教に従ひ、毫末も未練の事無く、 駿州、引立てられ、評定所に出づるの後、家宰桜井平太夫に命じて、居宅を洒掃し、書院の床には、駿州平日愛する所の文天祥が石刻の双 幅を挂け、花卉を挿ましむるの類、残る所なく、徐かに命を待ち、受取りの官吏を迎へて、引渡す等、殆ど遺す所なかりしと。』
 
静慎にし
て雅徳あ
り

彼の夫人も亦静慎にして雅徳ありしことを知るべし。真に駿州の妻たるに愧ぢざる也。

駿州平生、施与を好み、賞賜に吝ならず、故に能く衆心を得たり。また茲に一の逸話あり。

    『駿州の邸宅籍没せらるゝや、厳規にて、居宅即刻引渡の事なりければ、家什など荷担して、出づる遑そへあらず。其侭推積して置きた れど、夜に入り、何ものとも知れず、市人躰のもの、百余輩入り来り、各手に応じて、携へ去りしが、翌日松下内匠頭の家に戻り帰り、一の 遺物せしもの無かりしと。』

以て、其平生人望を負ひしことを知るべし。《因に云ふ、松下内匠頭は、世禄五千石を食み、当時留守居役を勤めたる人にして、其第九男、鶴松は、即ち駿州の養子と為りしが、時に年十三、猶幼なりければ、猶実父の許にありし中に、事に及びしと云ふ。》

駿州、他の嗜好無し。たゝ能く和歌を嗜み、能く刀剣を相せしと。而して和歌は北村稀文を師とし。秀逸の什尠なしと為さず。曾て『名所若菜』てふ題にて詠める歌あり曰く、

    けふこそは、若葉にそへて難波津に
      たのしき事もつみはまさまし
 
心を北辺
に留む

駿州、亦曾て心を北辺に留め、人をして露国の事情を探らしむ。『東湖随筆』に云く、

    『斗機蔵(松本)又曰、去る酉年、勘定奉行矢部駿河守、北地へ、松田伝十郎なるものと、外一人某なるものとを遣して虜情を探らしむ。 且窃に内地と交易し、米穀も余程渡したる様子の由。夷人語りければ、我国甞て交易を願へとも、日本にては、蘭人の言を信し我国へ交易を許せば、蘭人利を失ふ故、讒言を搆ふるなり。我等努々日本に野心あるにあらず。斯地に来り居るも、日本にて捨置故なり。日本にては境と云ふものなし。土地を捨置くとも、我国の主意は、不毛の地は、少しも開き候て、天主へ忠を尽すを尽すを専とする故、漸々に切ひらくなりと云しとぞ。此事或処より探りたりと云ふ。』

亦以て駿州の、北門経営に深慮ありしことを推測すべし。駿州は、独り良吏としての人物のみならざりき

 
 


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