Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.5.31

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「大塩の乱新資料紹介」 その6

菊池真一

『甲南女子大学研究紀要 文学・文化編 第44号』
甲南女子大学図書・メディア委員会 2008.3 より転載

◇禁転載◇


  (掲載誌では、史料は、釈文のあとにまとめていますが、ここでは対照する形にしています。管理人)

史 料釈 文

 (五オ)            (四ウ)

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をい   せいてう      きりやう     かん 追/\成長にしたがひ其器量等諸人感 ちゝ  りちき ずるばかり然れども父は利義一ぺんの人         よろこ なれば是をふかく悦ばずやゝもすれば せうに  にあわ    たいたん てき 小児に似合ざる大胆不敵の事をいひけ               たび るゆへにさま/\いさめける事度/\なり こ       おや       じや 子を見る事親にしかじ蛇は一寸にして そのき   し     ふること   このけい   こうねん 其気を知るとの古言あり此桂八郎後年」(四ウ)      もう くはた いへみ に及びて大望を企て家身をほろぼす        ようせう     き ほどの者なれば幼少より其気ありと見へ    ゆくすへ      あんじ て父母行末を大ひに案事しとかやさる             しくはん ほどに桂八郎十六才の時に私館をぬけいで     おもむ      せいどう  いり 江戸表へ趣き名にあふ天下清道に入   しよがく      けんしゆつ ほうぞういんりう こみ諸学をまなひ剣術は宝蔵院流の たつ よねくらうじ  つか   ちうや  その  ふんこつ 達人米倉氏に仕へて昼夜其道に分骨」(五オ)               (ママ)


 (六オ)            (五ウ)

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 ろう   はや を労して早十か年の間江戸おもてにありし    ちゝみ        ぜ ひ 内大篠父身まかりしゆへに是非なく廿七才              かとくさうぞく にて大坂へ帰へりすぐさま家督相続して    しゆつきん          とく     ひかし 役所へ出勤せりしばらく読大坂に東御役所      わつ 西御役所と割て二ケ所ありいづれもその けんぢう     くわう       まこと おそ 厳重なる事光/\として誠に恐れ多し みつけ       げんくはん           ひろ    やくま 見付八例之大玄関かたへにかのゝ広き御役間」(五ウ)         ゆみてつほう         なわ ありかざり立たる弓鉄炮じつていはや縄        ま おびたゝしく目のあたりにかけたりしは あしき                     そのい 悪敷をなすなのいましめとかや其威げん ぜん             たん  てき 顕としていかなる大胆不敵のものたりとも (ママ)                  ふく 此門に入ればおのれと身をかゞめ恐れ伏す         あく          こゝ  ひじやう ありさまかしらを上る事あたわず爰に非常       やかた とく をいましめの館の徳はかくあらめ是に」(六オ)


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