つと はた
御奉行を勤め給ふは江戸表の御旗もと
あつはれきりやう ゑ
にて万人の内にて天晴器量あるを撰らみ
めい ゑいたいでうやく かつ
命じ給ふ尤永代定役とにもあらず且また
ねんけん おり しか
年限をなし折/\かはり給ふなり然れ
よりきどうしん いに でう かわ
とも与力同心衆は古しへより定人にて代る
とうざい わか
事なし尤是も東西に分つて東与力衆
とうたん
五拾人同心衆百人西も人数同断なり」(六ウ)
かくばん
御用は東西に月々挌番につとめたまふ
せんそ 西
かくて大篠家は先祖より東与力也然るに
せい ころ つと
文政元年の比より東御奉行を勤め給ふは
ほそい やまと かた
細井大和守様と申奉る御方なり西御奉行を
さいとうはやと
勤め給しは斎藤隼人様と申奉る御方なり
きりやうばつくん かた
御両公とも御器量抜群の御方にて諸人
じんせい あつ はいこ
其仁政の厚きに 呼せりさるほどに大篠」(七オ)
|