Я[大塩の乱 資料館]Я
2008.6.1

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「大塩の乱新資料紹介」 その7

菊池真一

『甲南女子大学研究紀要 文学・文化編 第44号』
甲南女子大学図書・メディア委員会 2008.3 より転載

◇禁転載◇


  (掲載誌では、史料は、釈文のあとにまとめていますが、ここでは対照する形にしています。管理人)

史 料釈 文

 (七オ)            (六ウ)

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    つと         はた 御奉行を勤め給ふは江戸表の御旗もと         あつはれきりやう     ゑ にて万人の内にて天晴器量あるを撰らみ めい      ゑいたいでうやく          かつ 命じ給ふ尤永代定役とにもあらず且また ねんけん     おり         しか 年限をなし折/\かはり給ふなり然れ   よりきどうしん    いに      でう     かわ とも与力同心衆は古しへより定人にて代る       とうざい わか 事なし尤是も東西に分つて東与力衆             とうたん 五拾人同心衆百人西も人数同断なり」(六ウ)         かくばん 御用は東西に月々挌番につとめたまふ        せんそ    西 かくて大篠家は先祖より東与力也然るに  せい     ころ            つと 文政元年の比より東御奉行を勤め給ふは ほそい やまと             かた 細井大和守様と申奉る御方なり西御奉行を      さいとうはやと 勤め給しは斎藤隼人様と申奉る御方なり       きりやうばつくん   かた 御両公とも御器量抜群の御方にて諸人  じんせい  あつ   はいこ 其仁政の厚きに呼せりさるほどに大篠」(七オ)


 (八オ)            (七ウ)

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桂八郎は廿七才にて文政二年卯二月より      しゆつきん      でうやく ふんこつ 東御役所に出勤なし我か定役に粉骨を     み    せいきん        くはんらいはくかく かへり見なく精勤に及びける元来博学の大  きりやう 篠器量すくれし桂八郎なれば其なす        ぬけめ 事に一ツとして抜目なければ御奉行様の  もち     べつ    ひ      じしややくぎんみ 御用ひかく別なり日をへす寺社役吟味役 けんたい        けい   たゞ  かみ  い 兼帯せりさても桂八郎只御上の威を」(七ウ)         りほうきやう      むね かしらにいたゞき理法鏡の三ツを旨として か    わたくし   え こ   さ た    さら 仮りにも私を以依怙の沙汰など更になく おりふしまいな  もつ  へつ 折節賄ひを以て諂らふ者あらば是をき        つゆ           う びしくこらしめ露ほども賄ひを得る事               く じ はんたん なし是いと六ツケしき百性の公事万端         て            みち みづからぬきん出てこと/゛\く道をひらき   とうそくひとう    ほう もつ  つみ 又は盗賊非道の者法を以て罪せしめ猶又」(八オ)


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