◇禁転載◇
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大塩後素一年、彦根に至りし時、岡本黄石翁これを其家に延き、兵書の講義を聴かん事を求めしに、忽ち色を正うし、『足下、何の用ありて兵書の講義を望まるゝや、僕が甚解せざる所なり、請ふ其説を聞かん』と席を促し言ひければ、翁も意外の事に思ひ答へけるは『御承知の如く、予が祖先は兵学を以て藩に仕へ、余も不肖ながら今大夫の末班に列し、祖先の志を継がんと思ひ、幸に先生の高説を聴き、聊か国家に尽す所あらんと欲するに外ならず』と云へば、後素、稍顔色を和らげ『兵は活物なり。一二講論の尽す所に非ず。足下、若し意あらば、予が家に孫子十解といへる珍書を蔵せり。これを貸与すべし。此書を熟読せば、思ひ半ばに過るものあらん』と辞し去れり。『後素が最前辞気の獅オきには殆んど其答へにも窮したり』
とて、黄石翁の語られたり。 |
「大塩の乱関係論文集」目次