Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.9.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『北区誌』(抄)

その19

大阪市北区役所 1955

◇禁転載◇

第二章 江戸時代の繁栄
  三 水陸の交通と天満青物市場
     河村瑞賢の治水(2)
管理人註

河村瑞賢






























堂島の開発




























曽根崎の開
発




























天保の大河
浚

 瑞賢は元和四年(一六一八)に伊勢に生れ、幼名を七兵衛といい、元 服してから十右衛門と改め、瑞賢というたのは晩年剃髪してから後であ る。貧苦のなかに育ち、よく艱難に堪えてきた人で、天真の才智に長け、 二十七才のとき江戸に出て、明暦三年の大火(振袖火事)の火災跡の復 興に材木問屋として巨富を得て栄えた。次第に治水に志し、綱吉に用い られて大坂に出て、安治川を開さくし、つづいて堂島川、曽根崎川を浚 渫した。当時淀川が中之島の東端で土佐堀川、堂島川の二つに分れ、堂 島川はさらに曽根崎川(蜆川)を分ち、九条島の東で三者相合していた。 しかしこの頃には土佐堀川が本流と化し堂島川が涸渇の状態であったの で、まず曽根崎川を改修し、また堂島川を浚渫して河道を調整しそこに 新地を開発し、堂島新地のもとをひらいた。そのほか天満・川崎沿岸を 掘り拡げ、また神崎川、中津川を改修し最後に大和川の治水に大きな功 績をあげ、元禄十二年(一六九九)六月八十二才をもって病歿した。瑞 賢は大坂治水の恩人であり大正四年、安治川の国津橋東詰に記功碑が建 設された。  堂島ははじめ曽根崎川と堂島川との間に狭まれた砂洲で、新在家の名 もあって開発が遅れ、明暦三年(一六五七)の地図によれば堂島川には 全然橋が架けられていなかった。中古、五花堂と称する風流人が京都か ら大坂に来り、この島に梅、桜、牡丹、蓮、菊を植えて五花堂と名づけ たから堂島の名が出たとも伝えられ、いまの毎日新聞社東の薬師堂のあ たり、元禄ごろまで竹薮があったほどの寂莫の地であった。次第に人家 が増すにつれ、堂島船大工町・堂島裏一丁目・二丁目・弥左衛門町(い まの北町の一部と裏三丁目)・永来(太郎兵衛)町(いまの船大工町、 裏二丁目の一部)の五カ町をなして天満組に属した。貞享年間、河村瑞 賢の河道修理に伴い新地を生じ、堂島新地と呼び、堂島新地一丁目・二 丁目・三丁目・四丁目・五丁目(いまの堂島浜通)・中一丁目・中二丁 目・中三丁目・同北町・同裏町の十カ町を加えたため十五カ町となった。 開発の当時、この地に移ったのは野田、福島、榎並(いまの城東区榎並 町)などから移住してきたものが多く、船大工町にはそのころ船大工を 業とする者が多かった。(町名の改称によって大正十四年四月堂島裏町 は堂島上一・上二・上三丁目と改まった)なお曽根崎新地の開発はこれ より遅く宝永年間(一七〇四−一七一〇)のことである。  いまの中之島は貞享年間まで現在の日本銀行支店の西方に堀割があっ て、これによって堂島川と土佐堀川の水が連絡し、この堀割から東を上                              び く に 中之島、西を下中之島(肥後島)と称し、両島を東西に結ぶ比丘尼橋が 架けられていた。  河村瑞賢の治水工事の後、享保三年(一七一八)二月、新たに専任の 川奉行与力四人、同心八人を置いて川筋の浚渫、土砂留工事の取締に任 じた。宝永四年(一七〇七)以後は安治川、木津川の両河口へ入津する 廻船から石銭(船の石数に応じて徴収する入津料)を徴収して沖浚費に 充て、堂島新地の地子銀(地租)や堀江船床銀をもって川浚費に充てた こともある。宝暦六年(一七五六)から七年に至る川浚、同九年に於け る浚渫、またその数年後、明和年間(一七六四−一七七二)の川浚新築 立地工事などをはじめとして治水と浚渫の工事は倦まずつづけられた。 天保二年(一八三一)にも安治川、木津川両川口が土砂に埋り諸国廻船 の入津も不自由となって、兵庫、尼崎が繁栄し、市中は衰微が憂慮され るに至って大浚を行うこととなり、三郷惣年寄中から大浚掛を任命した。 その費用としては奉行所貸附銀四朱利銀(あるいは欠所銀ともいう)の うちから六百貫目を支出したが、これだけでは十分でないので三郷町中 に勧説したところ、町々の資産家や諸仲間から金銀の上納や人夫の寄附 申出も多かった。大浚は同年三月八日に始まり、加勢人足は揃いの半纏 や脚絆に身をかため、旗を飾って川船に分乗し、鉦太鼓はやして川を下 るという有様で、その賑いは祭礼同様で、狂態を戒める御触も出たほど だったが、翌三年十二月に大浚の工を終えた。




































毎日新聞社
は、現在堂
島アバンザ
となってい
る。
 

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