Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.9.26

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「大塩の乱関係論文集」目次


『北区誌』(抄)

その22

大阪市北区役所 1955

◇禁転載◇

第三章 江戸時代の文化と社会
  一 町人と元禄文化
     近松門左衛門とその作品(2)
管理人註

淀鯉出世滝
徳



心中刃氷の
朔日


心中二枚絵
草紙









心中天の網
島


































名残の橋づ
くし

        たきのぽり  また「淀鯉出世滝徳」の江戸屋勝二郎は堂島の大尽淀屋辰五郎のこと で、彼が新町の遊女にうつつを抜かしていた頃のことが織り込まれてい                     しんじゆうやいばこおりついたち る。宝永七年(一七一〇)六月に上場した「心中刃氷の朔日」はお初天 神の東、神明宮近くの藍畑で北の新地平野屋の抱え小かんと船場の鍛冶 屋の弟子平兵衛と二人の心中事件を書きあげたものである。「心中二枚 絵草紙」は北の新地天満屋のお島と長柄村の百姓の養子市郎右衛門の心 中を描いたもので近松五十四才の作品であり、享保七年(一七二二)七 月竹本座に上場した「女殺油地獄」は本天満町の油屋河内屋の次男与兵 衛と曽根崎の天王寺屋の小菊との情話である。  享保五年(一七二〇)彼の晩年六十八才のときの代表的作品が「心中 天の網島」で、北の新地の紀ノ国屋の抱え小春と天満お前町の紙屋治兵 衛とが同年十月十四日、相携えて淀川のほとり網島の大長寺の樋ノ口の ちかくで情死した事件を住吉の酒楼で聞いて、書き起し脚色して十二月 六日竹本座で上演した。  治兵衛が小春の情を知ると新地の灯が忘れられず二人は逢う瀬を楽し んだが、貞節な女房おさんは治兵衛の恋敵が小春を身請すると聞いて、 主人治兵衛の顔も立てようとする、その誠意に恋の二人は最後の道を辿 るという悲劇で、近松の作のなかでも有数の傑作である。  【写真 「河庄の場」(大正14年7月)    紙屋治兵衛(中村雁治郎) 粉屋孫右衛門(市川中車)          紀伊国屋小春(中尉魁車) 略】  大阪芝居に艶麗優雅な芸風で観客を悩殺した初代中村雁治郎(昭和一 〇年二月七六才にて歿)の十八番芸は「治兵衛」であり、その所作はさ ながら生きた一幅の名画の如くであった。     ほほかむりの中に日本一の顔        岸本水府  小春治兵衛の二人が「互に手を取交し、北へいかうか南へか、西か東 か行く末も……」と、たどる道行は「名残の橋づくし」として大川、曽 根崎川(蜆川)、天満堀川にかかっていた天神橋・桜橋・蜆橋などの各 橋をたくみにとりいれている。                   たとへ  「……今置く霜は明日消ゆるはかなき譬のそれよりも先へ消え行く閏の  内、いとし可愛いと締めて寝し、移り香も何と流れの蜆川、西に見て朝              かんしようじよう  夕渡る此の橋の天神橋は其の昔菅丞相と申せし時筑紫へ流され給ひしに、           ひととび  君を慕ひて太宰へたった一飛梅田橋、跡おひ松の緑橋、別れを欺き悲し  みて跡にこがるる桜橋、今に話を聞き渡る一首の歌の御威徳、かかる尊                  そなた  きあら神の氏子と生れし身を持ちて其方も殺し我も死ぬ。もとはと問へ  ば分別のあのいたいけな貝殻に一杯もなき蜆橋、短きものは我々が此の  世の住居、秋の日よ、十九と廿八年の今日の今宵を限りにて二人いのち       ぢい  ばゞ  の捨て所、爺と婆との末迄もまめで添はんと契りしに、丸三年も馴染い  で、此の災難に大江橋あれ見や難波小橋から、舟入橋の浜伝ひ是迄来れ                      すが  ば来る程は冥途の道が近付くと、歎けば女も縋り寄り、もう此の道が冥  途かと見交す顔も見えぬ程、落つる涙に堀川の橋も水にやひたるらん……」 と、子供の行末、女房の悲しみを胸におしつつんで新地を出た二人が淀川 の岸、野田を経て網島の大長寺で果ててゆく。近松門左衛門が「名残の橋 づくし」を描いたのは、彼が水都大坂の橋に興趣を覚えたからであり、文 豪の慧眼ということができよう。  ところで彼は京都で育ち、和漢儒仏の古典に親レみ、生涯努力修養を怠 らず、主として京都に在住して竹本義太夫のため筆を執っていたが、後に 大坂に移り、彼はこの間を通じて少くとも浄瑠璃百十篇、歌舞伎脚本三十 篇を書いたといわれる。享保九年(一七二四)十一月二十二日七十二才を もって長逝し、いま尼崎市久々智の広済寺と谷町八丁目の法妙寺の両所に 碑が残っていて、その墓が何れであるかは明かでない。

















































きしもと すいふ、
(1892− 1965)、
大正・昭和初期の
川柳作家
 

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