Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.10.14

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『北区誌』(抄)

その38

大阪市北区役所 1955

◇禁転載◇

第四章 明治時代の発展
  一 自治制の確立と立憲政治
     市制の施行
管理人註


市制施行











市制特例




















市会議員選
挙

 かねて地方自治と地方分権の原則を法制の上に確立し、完備した自治 制度を制定すべく着手され、内閣法律顧問ドイツ人モッセの町村制原案 にもとずき幾多の迂余曲折を経て、遂に明治二十一年四月十七日市制町 村制が公布され、翌二十二年四月一日本市に施行されるに至ったが、今 を去ること六十五年前である。  当時、元老院は東京・京都・大阪の如き大都市に対しては強硬なる監 督を要すとして二十二年三月十九日市制特例を公布した。すなわち三大 市に実施した市制は一種の特別市制ともいうべく市長の職務は府知事が これを行い、市参事会は府知事・書記官及び名誉職参事会員をもって組 織し、区は従前の通り存置されたが、区の有給吏員たる区長及び書記は 市参事会において選任することに定められた。当時の区長は知事に直結 していたわけで区長に委任せられた事項としては、区書記以下乞暇及事 故欠勤除服・区役所雇以下進退・死獣取片付・塵芥掃除・街灯並に橋梁 監視・区役所経費支払・橋梁保護・市税賦課徴収・市税不納者処分・人 民印鑑奥書証印・区役所不用の物品公売のことであった。  市制施行によって二十二年六月、四区をもって市会議員の選挙区とし、 北区では堂島浜通二丁目の元大阪取引所において選挙会を開き、全市四 十八名(一級十五名、二級一八名、三級一五名)の議員の選出を終え、 七月一日最初の市会が開会された。第一回の市会議員の選挙のとき、多 くの団体から推薦状が出されたが、その一を掲げると次の通りである。

  玉江町一丁目   磯上由右衛門  堂島浜通二丁目 秋月清十郎   天神橋筋四丁目  由上又兵衛   樋 上 町   筑田太七   北 森 町    大島良輔    堂島真一丁目  斎藤嘉七   中之島五丁目   後藤玉城    堂島北町    石橋栄太郎   安治川通北二丁目 中村安右衛門 今ヤ北区ニ於テ市会議員九名撰出スルニ際シ本部員ハ公平不偏ノ誠意ヲ 以テ右ノ諸氏ヲ指名シテ候補者トナシタルニ付冀クハ共同一致シテ撰挙 セラレンコトヲ切望ス     明治二十二年六月十三日                    北倶楽部

 市制施行の翌二十三年七月三十日市条例第二号をもって区有財産事務 を処理するため、北区野田町九十三カ町の区域に区会が設置されること となった。かくて十三年四月の区町村会法以来の区会は廃され、財産区 の議決機関としての区会が設けられ、区会議員は公選とされ、その任期 は四年であった。

   
 

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