Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.9.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『北区誌』(抄)

その5

大阪市北区役所 1955

◇禁転載◇

第二章 江戸時代の繁栄
  一 城下町としての発展
     町と五人組制度(2)
管理人註

五人組












宗旨人別帳

 町民自治の最下部の組織をなすものは五人組である。五人組と称して も必ずしも五戸に限ったものではなく、借家をこめて一組が二、三十軒 に上るものもあった。五人組の制定せられた当初の目的は耶蘇教徒の撲 滅と浪人の取締をはかったものであったか、次第にこの制度が強化され るようになり、相互扶助をはじめとし家屋敷の売買入質・家督相続・婚 姻・葬式の世話に至るまで行うようになった。  五人組制度の確立とともに寛永年間、将軍家光のとき島原の乱(一六 三八)があり、特に耶蘇教徒の取締を厳重にするため、庶民はことごと く仏教に帰依せしめられ、寺院からは宗旨手形(寺請帳)を出させた。 毎年町々で宗旨人別帳(宗旨改帳)をつくり、その一部を町奉行所に納 め、一部を町会所に保管した。人別帳は天満組は天満別院で、北組は津 村別院、南組は難波別院で「巻納」を行い、町奉行から出張している寺 社方与力に納めたが、その冒頭には次の三力条の法度を遵守する旨の誓 の詞が書かれることになっていた。   【写真 宗旨改人別帳(安政3年2月) 略】                              一、切支丹宗門之事    一、博奕諸勝負之事    一、傾城町之外遊女之事     附、若衆を抱置遊女同前に売候事  この人別帳には住民のすべてが記載され、転居時には寺から宗旨手形 を貰って、新しく来た町の会所へ届出ることになっていた。こうしたこ とから昔の戸籍は寺にあると称せられてきた。  町年寄の管理した人別控は現在の戸籍簿の原始形態で、その内容の一 例を示せば次のようである。

   塩飽屋清右衛門支配借屋  知恩院派  浄土宗  旦那   天満東寺町 長徳寺         長門屋徳三郎                          九才                      母  たつ                        六十一才                      下女 いそ                         十七才  真言宗  旦那   北 野   太融寺                     西村良平兵衛                         三十才                      女房 しを                        二十五才                      娘  きわ                          二才


























「巻納」
まきおさめ
 

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