Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.10.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『北区誌』(抄)

その50

大阪市北区役所 1955

◇禁転載◇

第四章 明治時代の発展
  四 市域の拡張と明治後期
     明治三十年の市域拡張(1)
管理人註


市域編入告
示



























編入町村

 明治二十二年はじめて市制を施行した大阪市は日清戦争を契機として 急激な発展をとげ、当時市域はわずかに一五平方粁にも足らず、将来の 商工業の発展のためには接続町村に土地を求めるの止むなきに至ってい た。殊に本市永遠の盛衰を左右する問題として唱導された築港も、市外 にあったので、築港の建設には接続町村の編入をその先決要件とした。 かくて接続町村編入の機運は熟し、二十九年七月十日大阪府告示第百八 十五号をもつて接続町村編入の告示が発せられ、翌三十年四月一日から 実施されることとなった。  この市域拡張は東成、西成両郡の二十八カ町村の全部又は一部にわた るもので、これによって本市面積は従前の約三倍半の五十五平方粁となっ た。このとき北区の区域に大阪駅も加わり、急速に市街地化していた曽 根崎村はじめ十カ町村にわたって拡張をみ、その将来の発展に備えるに 至った。  すなわちこのとき北区に編入されたのはつぎの各町村であった。   西成郡北野村   西成郡曽根崎村   西成郡上福島村   西成郡下福島村   西成郡川崎村の内字西流山悪水路右岸以南   西成郡野田村の内中津川以東   西成郡豊崎村の内大字国分寺・大字本庄の内字東流山と千五十一番    地以南・字東流山と字猿楽の間を通ずる悪水路の右岸以南・字浮    田八百二十四番地の北より字上中野四百七十六番地の北に通ずる    道路の北端以南・字南中野四百五番地以南・字三昧の側二百九十    一番地乃至二百九十三番地以南・大字南浜の内字芦原蓮田及石橋    を通ずる悪水路の右岸以南   東成郡鮫江村の内大阪鉄道線路城東線敷地東端以西   東成郡都都島村の内大字善源寺字九ケ悪水路右岸以南   東成郡野田村の内字東七反田の西を通ずる井路の左岸以西  かくてこの編入によって明治二十二年七六、一三六であった北区の人 口は三十二年には一〇三、九二一に上るに至った。編入をみた区域は、 その後大正十四年の市域拡張による分増区、昭和十八年の分増区によっ て変更をみたが、現在の北区に属する当時の各村の概況はつぎの通りで ある。

   

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