Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.5.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その102

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  一 決心 (6)
 改 訂 版


賑恤




















































天下の金権

官民の賑恤も数回行れたが、前回の飢饉の時の様な勢は無かつた、 前回には三郷囲籾の中を以て極貧者毎戸に白米一升と銭百文、家族 は四歳以上の男女一人につき白米一升−此人員合計三千人−を施し たるを始とし、平野屋五兵衛は貧民毎戸に白米一升を、また鴻池屋 善右衛門加島屋久右衛門等二十二名は銭一万二千五拾十貫文を醵出 し、窮民毎戸に弐百弐拾壱文を施し、その残額に淡路町一丁目外三 町鴻池屋伊兵衛外四名の義捐金額を加えて、三郷毎町―三郷六百二 十町中傾城町七町を除く―壱貫八百七拾文の配当となり、近江屋権 兵衛ほか壱名及源右衛門町の施銭額は同じく四百七拾文の配当とな り、又第二回の鴻池屋加島屋等四十九名土佐堀一丁目外二町の施銭 額合計二万九百貫五百文は、窮民毎戸に三百三拾八文の配当となり、 其他町々組合または個人の寄捨額も少からぬものであった、今回は 将棊島の囲籾蔵を開き、白米に仕上げ、貧民一人に五合を限り、四 拾五文の廉価で売下げたのが賑恤の第一で、次には川崎官廩の籾米 を摺立て、白米五合を四拾二文で売り、其後は無代で施与したとい ふが、石数人員等が不明である為、何の位の程度に於て貧民の救助 となったか解らぬ、又三郷有志の義捐金総額は、金五両・銀拾枚・ 銭壱万五千百拾貫文余に上り、十月六日町々窮民に分配し、一戸一 人住の者へ二百文、一戸二人住以上の者へ三百文を与え、天満東西 の搗米屋中から白米十七石五斗一升を出して、極貧者へ五合宛を分 ち、其後は翌年二月に官から大阪・兵庫・西宮の窮民へ玄米二千石 の施与があった位だ、平八郎の第二の不平は此処にある、一口に豪 商富家とはいへ、当時の大阪でまず指折の豪商といへば、鴻池屋・ 米屋・辰巳屋・加島屋・平野屋・天王寺屋・銭屋・近江屋・炭屋・ 千草屋等の一党である、一党とは同じ屋号を名乗つて居る本家・分 家・別家の総称で、例へば鴻池屋は今橋二丁目の善右衛門を本家と し、同町の善五郎・庄兵衛・徳兵衛・同三丁目の伊助・同四丁目の 重太郎・和泉町の新十郎・栄三郎・彦太郎等皆鴻池屋を称し、米屋 にては内平野町二丁目の平右衛門を本家とし、同町の長兵衛・平野 町二丁目の喜兵衛・今橋五丁目の伊太郎・瓦町二丁目の太兵衛・文 兵衛、淡路町二丁目の常七・京橋二丁目の三十郎・農人橋詰町の武 右衛門等皆米屋を称する類である、而して彼等は或は十人両替と為 つて三郷全体の両替屋を取締り、御用融通方と為つて幕府の官金預 り、或は諸藩蔵屋敷の蔵元と為つて其藩の産物即ち蔵物−主として 米−の販売一切を掌り、また掛屋となつて一方には蔵物販売の代金 を預り、一方には月々江戸屋敷の入用金を仕送る等、隠然として天 下の金権を握つてゐた、十人両替融通方の類は公儀より苗字帯刀御 免とか諸役免除とかいふ特典を授け、又蔵元掛屋の類に対しては諸 藩より之に家老格とか用人格とか、それ\/取扱上の格式を与へ、 相応の扶持米を給してゐるが、蔵屋敷役人の能事は蔵元掛屋等出入 の町人と協力して、其藩常用臨時の諸経済を支へて行けば宜いので、 金談といへば、蔵役人が主人となる時も、出入町人が主人となる時 も、必ず対手方を馴染の揚屋か茶屋かに招き、酒池肉林の豪奢を極         フルマヒ めたもので、之を振舞といつた。

 官民の賑恤も数回行はれたが、前回の飢饉の時の様な勢は無かつ た。前回には三郷囲籾の中を以て極貧者毎戸に白米壱升と銭百文、 家族は四歳以上の男女一人(合計三千人)につき白米壱升を施した のを始めとし、平野屋五兵衛は貧民毎戸に白米壱升を、また鴻池屋 善右衛門加島屋久右衛門等廿二名第一回の醵金額は銭壱万二千五拾 貫文に達し、窮民毎戸に二百二拾壱文を施し、その残額に淡路町一 丁目外三町及び鴻池屋伊兵衛外四名の義捐金額を加えて、三郷毎町 (三郷六百二十町中傾城町七町を除く)壱貫八百七拾文の配当とな り、近江屋権兵衛ほか壱名及び源右衛門町の施銭額は同じく四百七 拾文の配当となり、また第二回の鴻池屋加島屋等四十九名及び土佐 堀一丁目外二町の施銭額合計二万九百貫五百文は、窮民毎戸に三百 三拾八文の配当となり、その他町々組合または個人の寄捨額も少か らぬものであった。今回は将棊島の囲籾蔵を開き、白米に仕上げ、 貧民一人に五合を限り、四拾五文の廉価で売下げたのが賑恤の第一 で、次には川崎官廩の籾米を摺立て、白米五合を四拾二文で売り、 その後は無代で施与したといふが、石数人員等が不明である為、何 の程度において貧民の救助となったか解らぬ。また三郷有志の義捐 金総額は、金五両・銀拾枚・銭壱万五千百拾貫文余に上り、十月六 日町々窮民に分配し、一戸一人住の者へ二百文、一戸二人住以上の 者へ三百文を与え、天満東西の搗米屋中から白米十七石五斗一升を 出して、極貧者へ五合宛を分ち、その後は翌年二月に官から大阪・ 兵庫・西ノ宮の窮民へ玄米二千石の施与があった位だ。平八郎の第 二の不平はこゝにあった。  一口に富商豪家とはいえ、当時の大阪で先づ指折の富商といえば 鴻池屋・米屋・辰巳屋・加島屋・平野屋・天王寺屋・銭屋・近江屋・ 炭屋・千草屋等の一党である。一党とは同じ屋号を名乗つて居る本 家・分家・別家の総称で、例えば鴻池屋は今橋二丁目の善右衛門を 本家とし、同町の善五郎・庄兵衛・徳兵衛、同三丁目の伊助、同四 丁目の重太郎、和泉町の新十郎・栄三郎・彦太郎等皆鴻池屋を称し、 米屋は内平野町二丁目の平右衛門を本家とし、同町の長兵衛、平野 町二丁目の喜兵衛、今橋五丁目の伊太郎、瓦町二丁目の太兵衛文兵 衛、淡路町二丁目の常七、京橋二丁目の三十郎、農人橋詰町の武右 衛門等、皆米屋を称する類である。而して彼等は或は十人両替とな つて三郷全体の両替屋を取締り、御用融通方となって幕府の官金預 り、或は諸藩蔵屋敷の蔵元となって、その藩の産物即ち蔵物――主 として米――の販売一切を掌り、また掛屋となつて一方には蔵物販 売の代金を預り、一方には月々江戸屋敷の入用金を仕送る等、隠然 として天下の金権を握つてゐた。十人両替融通方の類は公儀から苗 字帯刀御免若しくは諸役免除の特典を受け、また蔵元掛屋の類は諸 藩から家老格とか用人格とか、それ\゛/取扱上の格式を与へられ、 相応の扶持米を給された。蔵元掛屋等出入の町人と協力して、その 藩常式臨時の諸経済を支へて行くのが蔵屋敷役人の仕事で、金談と いへば、蔵役人が主人となる時も、出入町人が主人となる時も、必 ず対手方を馴染の揚屋か茶屋かに招き、酒池肉林の豪奢を極めたも      フルマヒ ので、之を振舞といつた。。


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