挙兵の目的
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平八郎は激し易き人である、肝癪持の甚しき者である、勢に乗じ
ては金頭をワリ\/と頭から噛砕くやうな人である、米価暴騰、
飢餓の為道路に行倒人さへある時節に、町奉行の措置は当を失ひ、
又富商豪家の義捐は一向捗々しくない、一方飢に泣く細民あれば、
一方権威に傲る役人あり、驕奢を競ふ豪商あり、彼を肝此を顧み
て安坐するに堪へず、遂に身を忘れ家を忘れて兵を起したのであ
る、挙兵の目的は実に町奉行諸役人を誅し、富商豪家を伐ち、彼
等が多年蓄積したる金穀を散じて窮民を救はう、かくするは天命
である、天意に叶ふ所業であると信じたのであつた、独り平八郎
のみならず、党中にて主立たる面々は斯の如く信じた、信じたれ
ばこそ妻子眷族を捨てゝ之に同じたのである、瀬田済之助には足
腰不自由の養父あり、渡辺良左衛門には六十七歳の老母あり、小
泉淵次郎に花の如き許嫁あれば、宮脇志摩は二男三女を有し、剰
へ妻女は妊娠中なり、又孝右衛門は守口町の百姓兼質屋渡世、忠
兵衛は般若寺村の庄屋にして共に何不足なく生活せり、之を思へ
ば彼等が陰謀に与りしは血気に逸りたるにあらず、未来の恩賞を
当にしたるにあらず、全く平八郎と意見を同じうしたるに過ぎな
い、泰平の代に猥に兵を動すは暴挙である、平八郎は乱魁たるを
免れず、其一党は暴徒たるを免れない、併し平八郎は能吏として
又師匠として声名を博し、良左衛門は温厚篤実を以て鳴り、孝右
衛門忠兵衛は孰れも其郷党に於て衆望のある人々であつた、此の
如き人々をして一身一人のみならず、「血族の禍を犯す」を避け
ずして暴挙に及ばしめたるは、町奉行諸役人富商豪家其責無しと
言ふべからずである、されば大塩党は眼前の膺懲救民を主とし、
同志の人員も少数で、主立たる者は二十名を超えぬ、裁許書にあ
カブトヤマ
る如く大阪城を焼討にし、一旦摂州甲山に楯寵り、時機を見計つ
て大義を成就するといふやうな、持久の計画は断じて無かつたの
に、かゝる箇條を裁許書に麗々しく載するに至つたは、全く吉見
九郎右衛門の密訴状に基いた不穿鑿の処置である。
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平八郎は激し易き人でおる、勢に乗じては金頭をワリ\/と頭
から噛砕くやうな人である。米価暴騰、飢餓のため道路に行倒人
さへある時節に、町奉行の措置は当を失ひ、又富商豪家の義捐は
一向捗々しくない。一方飢に泣く細民あれば、一方権威に傲る役
人あり、驕奢を競ふ豪商あり、彼を肝此を顧みて安坐するに堪へ
ず、遂に身を忘れ家を忘れて兵を起したのである。挙兵の目的は
実に町奉行諸役人を誅し、富商豪家を伐ち、彼等が多年蓄積した
金穀を散じて窮民を救はう。かくするは天命である、天意に叶ふ
所業であると信じたのであつた。独り平八郎のみならず、党中の
主立つた面々は皆此の如く信じた。信じたればこそ妻子眷族を拾
てゝ之に同じたのである。瀬田済之助には足腰不自由の養父あり、
温厚篤実を以て鳴る渡辺良左衛門には大十七歳の老母あり、小泉
淵次郎に花の如き許嫁あれば、宮脇志摩は二男三女を有し、剰へ
妻女は妊娠中であり、また孝右衛門は守口町の百姓兼質屋渡世、
忠兵衛は般若寺村の庄屋で郷党に衆望のある人々であつた。成る
程太平の世に為政者に反抗して武力に訴へるは暴挙である。頭領
たる平八郎は乱魁、その一党は暴徒と称せられても致し方ない。
然し彼等をして一身一人のみならず、「血族の禍を犯す」を避け
ずして暴挙に及ばしめたは、町奉行・諸役人・富商豪家その責無
しと言ふべからずだ。大塩一党は眼前の膺懲救民を主とし、同志
の人員も少数で、主立たる者は二十名を超えぬ。裁許書にある如
カブトヤマ
く大阪城を焼討にし、一旦摂州甲山に楯寵り、時機を見計らつて
大義を成就するといふやうな持久的計画は断じて無かつたのに、
かかる箇條を裁許書に麗々しく載するに至つたは、全く吉見九郎
右衛門の密訴状に基いた不穿鑿の処置である。
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