Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.5.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その106

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  二 準備 (1)
 改 訂 版


決心の時機

平八郎が挙兵に決心したを何月何日と正確に示し得べきでは無い が、吉見九郎右衛門の吟味書によると、天保七年十月初旬平八郎                        チヤウウチ 竊に九郎右衛門を招き、先般来製造の火薬は格之助丁打の為と称 すれど、実は近年諸国違作打続き、米価高値にて諸民難渋に及び、 既に甲州において一揆相発したりとの風聞あり。当表迚も不時に 異変起るや計り難く、其上当時の政道宜しからず、隠居の身なが ら世を憂ひ民を弔ふ大義を唱ヘ、計略を以て山城守等を討取り、 御城を始諸役所向其外市中をも焼払ひ、豪家の者共貯置ける金銀 並びに諸家蔵屋敷に囲置ける米穀を、窮民共に分遣し、其上にて 摂州甲山に循籠り、時機を見合せ、大義を成就すべき心底なりと 物語り、檄文の草稿を読聞せ、平山助次郎・瀬田済之助・小泉淵 次郎・渡辺良左衛門・圧司義左衛門・近藤梶五郎・河合郷左衛門・ 守口町孝右衛門・般若寺村忠兵衛等は既に承知したれば、九郎右 衛門も同志に加はるべしと勧められ、止むを得ず同意したとある、 丁打一件とは格之助が玉造口同心藤重良左衛門及同人倅藤重槌太 郎を招いて砲術の稽古を始め、来春丁打を為ると称し、多量の火 薬を製造したことで、之は九月から着手した、然らば平八郎の決 意は十月初旬以前多分は九月頃であつたらう、平山助次郎の吟味 書に、渡辺良左衛門が助次郎の宅へ来て、自然異変等あらば忠孝 の為には身命を抛たるべきか、先生のお差図により存念承り度参 上したりといふを聞き、不審に存じたとあるは矢張九月の事で、 若し平八郎に此時既に挙兵の決心があつたとすれば、良左衛門の 口上は容易に了解し得らるゝのであるから、助次郎吟味書中の此 段は、平八郎の決心九月頃なりといふ仮定説を強める。

 平八郎が挙兵に決心したを何月何日と正確に示し得べきでは無 いが、吉見九郎右衛門の吟味書によると、天保七年十月初旬平八                         チヨウウチ 郎竊に九郎右衛門を招き、先般来製造の火薬は格之助丁打用と称 すれど、実は近年諸国違作打続き、米価高値にして諸民難渋に及 び、既に甲州において一揆相発したりとの風聞あり。当表迚も不 時に異変起るや計り難く、その上当時の政道宜しからず、隠居の 身ながら世を憂ひ民を弔ふ大義を唱ヘ、計略を以て山城守等を討 取り、御城を始め諸役所向その外市中をも焼払ひ、豪家の者共貯 置ける金銀並びに諸家蔵屋敷に囲置ける米穀を、窮民共に配分し、 然る後摂州甲山に循籠り、時機を見合はせ、大義を成就すべき心 底なりと物語り、檄文の草稿を読み聞かせ、平山助次郎・瀬田済 之助・小泉淵次郎・渡辺良左衛門・圧司義左衛門・近藤梶五郎・ 河合郷左衛門、守口町幸右衛門・般若寺村忠兵衛等は既に承知し たれば、九郎右衛門も同志に加はるべしと勧められ、止むを得ず 同意したとある。大塩邸内における火薬製造着手は九月であるか ら、平八郎挙兵の決意はこの談話以前、多分は九月頃であつたら うといひ得る。平山助次郎の吟味書に、渡辺良左衛門が助次郎の 宅へ来て、自然異変等あらば忠孝の為には身命を抛たるべきか、 先生のお差図により存念承りたく参上したといふを聞き、不審に 存じたとあるは矢張九月の事で、若し平八郎に当時既に挙兵の決 心があつたとすれば、良左衛門の口上は容易に了解し得られるか ら、この一段は、平八郎の決心九月頃なりといふ仮定説を強める に足りる。然し良左衛門も助次郎も同志を裏切つた人物であり、 その言ふ所を採用するまでには充分の注意を要する。九月の決心 は次項と対照して早きに過ぎはせぬか。火薬製造を以て直ちに挙 兵用とするは、旁証の無い限り、速断の恐がありはせぬか。


「大塩平八郎」目次3/ その105/その107

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